大石五郎
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大石 五郎(おおいし ごろう、1874年(明治7年)4月15日[1] - 1945年(昭和20年)12月20日[2])は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。ジャーナリスト。
経歴
[編集]山形県山形市[3]。山形県立山形中学校を経て、1896年(明治29年)に東京法学院(現在の中央大学)を卒業[3]。1900年(明治33年)、『山形新聞』記者となった[3]。1903年(明治36年)に主筆に進み、1906年(明治39年)からはアメリカ合衆国に留学した[3]。1910年(明治43年)に帰国し、翌年から再び『山形新聞』主筆となった[3]。また山形市会議員に選出された[1]。
1917年(大正6年)、第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
1920年(大正9年)、山形新聞社を興し[4]、『日刊山形』『日刊荘内』を発行した[3][5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 新聞研究所編『昭和五年 昭和新聞名家録』新聞研究所、1930年。