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大津町 (茨城県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおつまち
大津町
廃止日 1956年3月31日
廃止理由 新設合併
磯原町大津町平潟町関南村関本村南中郷村 → 茨城市
(即日改称し北茨城市になる)
現在の自治体 北茨城市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 茨城県
多賀郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 平潟町、関本村、関南村
大津町役場
所在地 茨城県多賀郡大津町
座標 北緯36度51分32秒 東経140度44分59秒 / 北緯36.859度 東経140.74969度 / 36.859; 140.74969 (大津町)座標: 北緯36度51分32秒 東経140度44分59秒 / 北緯36.859度 東経140.74969度 / 36.859; 140.74969 (大津町)
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大津町(おおつまち)は茨城県多賀郡にかつて存在した町である。

地理

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現在の北茨城市の北東部に位置し、太平洋に面しているが、町域は多賀山地の一部でほとんど山がちな地形になっている。

歴史

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町内の五浦海岸には1906年(明治39年)に岡倉天心率いる日本美術院東京から移転した[1]。同院は天心が亡くなる1913年(大正2年)までこの地にあり、天心ゆかりの六角堂にはインド詩人ラビンドラナート・タゴール1916年(大正5年)8月に訪れている[2]

第二次世界大戦中の1944年から1945年にかけては、海岸線から風船爆弾の放球が行われていた(全国で3か所のうちの1つ)[3]

1951年(昭和26年)11月22日、町内でがけ崩れが発生。死者5人、重軽傷者5人[4]

町域の変遷

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変遷表

1868年
以前
明治22年
4月1日
昭和31年
3月31日
現在
大津村 大津町 茨城市
即日改称
北茨城市
北茨城市

人口・世帯

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人口

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総数 [単位: 人]

1891年(明治24年) 3,555
1902年(明治35年) 3,953
1920年(大正 9年) 4,556
1935年(昭和10年) 5,784
1950年(昭和25年) 8,376
1955年(昭和30年) 8,255

世帯

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総数 [単位: 世帯]

1920年(大正 9年) 995
1935年(昭和10年) 1,207
1950年(昭和25年) 1,715
1955年(昭和30年) 1,640

交通

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鉄道

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※関本駅の所在地は関本村である。

道路

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脚注

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  1. ^ 茨城新聞社 編 (1981):182ページ
  2. ^ 北茨城市史編さん委員会 編 (1987):190 - 192ページ
  3. ^ 「九千個放って到達は一個、戦後判明」『朝日新聞』1945年(昭和20年)10月3日(昭和ニュース事典編纂委員会『昭和ニュース事典第8巻 昭和17年/昭和20年』本編p.712-713 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  4. ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、84頁。ISBN 9784816922749 

参考文献

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関連項目

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