大津桂一
表示
大津桂一 おおつ けいいち | |
---|---|
生年月日 | 1895年3月14日 |
出生地 |
日本 茨城県久慈郡坂本村 (現・茨城県日立市) |
没年月日 | 1948年3月29日(53歳没) |
出身校 |
茨城県師範学校卒業 (現・茨城大学教育学部) |
前職 | 小学校校長 |
所属政党 |
(無所属→) (新光倶楽部→) (新政会→) (国民党→) (国民協同党→) (無所属→) 民主党 |
選挙区 | 茨城県全県区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1946年 - 1947年3月31日 |
大津 桂一(おおつ けいいち、1895年3月14日[1] - 1948年3月29日[2][3])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]茨城県久慈郡坂本村(現・日立市)生まれ[3]。1914年茨城県師範学校(現・茨城大学教育学部)本科第二部卒[2][3]。小学校や茨城県女子師範学校の訓導を務め、小学校長となり、岩間農業公民学校助教諭兼校長、茨城県視学、石岡農商青年学校教諭兼校長を歴任する[2]。新治郡教育会長、新治地方事務所参与などを務める[2][3]。
1946年の第22回衆議院議員総選挙で茨城県から無所属で立候補して当選する[4]。当選後は新光倶楽部に入り[5]、その後新政会[6]、国民党[7]、国民協同党[8]から無所属を経て[9]、民主党[10]と変わった。この間、国民党会計監査となった[2]。衆議院議員は1期務めた[2]。1947年の第23回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1948年死去。
脚注
[編集]- ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、11頁。
- ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』131頁。
- ^ a b c d 『国会大鑑 衆議院篇 231コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』137頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』517頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』525頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』527頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』539頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』540頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』541頁。
参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。