大沢葡萄
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大沢葡萄(おおさわぶどう)は、秋田県横手市大沢地区(旧山内村)にて栽培されるブドウを指す。
大沢ぶどうの始まりと品種の推移
[編集]年表
[編集]- 1888年(明治21年)ごろ: 高橋運次郎の自宅に白ブドウ(甲州種)を植える。
- 1894年(明治27年) : 妹尾鶴治が米国種のカートバやイサベラ(コンコード)を栽培した。病虫害にかかることもなくよく育ったため、栽培を奨励した。それを受け、高橋運次郎がイサベラ種の苗を購入し、栽培した。
- 1907年(明治40年): 高橋運次郎が欧州種のブラックハンボルクを購入し栽培した。その結果、驚くべき成果が出たと記録されている。
- 1909年(明治42年): 高橋源治がカメルスアーリー、グリーサ、ホワイトナイスなどを購入し栽培した。
- 1911年(明治44年)ごろ: 高橋源治がナイアガラを購入し栽培した。
- 1912年(明治45年): 高橋源治がハーバート、アリーオハイオ、チャンピオン、カムアスアーリー、ハートソオート、フェルリック、ミルズなどの苗木を購入して栽培した。しかし、いずれも病虫害に弱かったため、営利的栽培品種としてはカメルスアーリーとナイアガラに決定し、栽培を奨励した。
- 1928年(昭和3年): 栽培種類 - ナイアガラ70%、カメルスアーリー30%。高橋豊治が地域に適したブドウ品種としてキャンベル・アーリーを奨励した。
戦前
[編集]平鹿郡山内村果樹改良組合『果樹改良組合事績調査』によれば、1888年(明治21年)ごろ、高橋運次郎の自宅に植えられた白ブドウ(甲州種)のよく育った大株ひとつがよく実を付け、一棚分の実が金3円[1]で売れたという。これが山内村のブドウ栽培の始まりである。1920年(大正9年)ごろから栽培技術が大きく進歩したため、山内村のブドウ栽培は発展した。
現在
[編集]現在、大沢地区で栽培されているブドウの品種が、従来のキャンベル・アーリー、ナイアガラ、ポートランドなどから、巨峰やスチューベンに交替しつつある。その理由として、消費者の高級品嗜好の流れに合わせたことがあげられる。
利用
[編集]脚注
[編集]- ^ 明治時代の「1円」は、2011年現在の日本円通貨に換算すると約4,000 - 5,000円程に値する。Chigasaki・W.S. “(新)近現代・日本のお金(貨幣、紙幣)”. 2011年12月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 『横手市史 通史編 近現代』横手市、2011年 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- “社団法人 横手市観光協会 - 雪まつりとやきそばの街「よこて」”. 2011年12月18日閲覧。