大林雅美
大林 雅美(おおばやし まさみ、1947年〈昭和22年〉5月30日 - )は、元タレント。本名は大林雅子。俳優上原謙の元後妻。次女の仁美凌は女優。
来歴
[編集]北海道で網元の三女として出生。家業の破綻により母子家庭で育ち、中学入学前に母とともに上京。八雲学園中学校・高等学校中退。17歳で歌手の大橋節夫に師事。在日アメリカ軍のキャンプ回りをした後、ホステス兼クラブ歌手となる[1][2]。
1975年、ホステス兼クラブ歌手をしていた時、妻・小桜葉子と死別していた38歳年上の上原謙と知り合い同棲生活を経て結婚。2人の娘をもうけた。上原は1970年に専務を務めていたホテルパシフィックパーク茅ヶ崎が倒産して財産を失っており、長女出産後は銀座のクラブへの勤務を再開し、直後に上原の出資により赤坂にスナックのハニー上原を開店した[1][2]。しかし上原が年を取るに連れ喧嘩が絶えなくなり、1991年6月に離婚。上原の長男の加山雄三一家との確執、自らの不倫騒動などで世間を騒がせ[1]、「悪女」「たぬき顔」などの流行語を生んだ。
騒動の渦中には、ラジオ日本で持っていたレギュラー番組『まさみの素敵な夜に』のスポンサーのシキボウ(当時の社名は敷島紡績)の社長と愛人関係だったと報じられ、さらに社長と2人で設立したマコツーにシキボウから資金提供があったとされ、社長は解任、番組も打ち切られた。大林は社長を婚約不履行で訴えて慰謝料5千万円を要求した[2]。
離婚後の1991年と1992年には夫婦関係や加山家(池端家)との確執などを明かした本を出版。
1992年にクラブの「まこん」を銀座に初出店[3][4]。翌1993年には井筒和幸監督によるオリジナルビデオ『雅美のパワー・オブ・ラブ』で主演するなどのタレント活動をした[5]。
2009年2月末には銀座のダイニングバー23区を閉店。加山家とは絶縁状態で、これまでに銀座で7軒の店を開閉店し、一時は借金4000万円を抱えた[6]。23区を閉店後は元歌手の仲宗根美樹のバー美樹を手伝っていたが[7]、常連客の求めに応じて2010年8月25日には再び銀座にスナックを開店[8][9]。初心に返るつもりで銀座に初めて出した店名である「まこん」と再び名付けた[6]。
出演作品
[編集]オリジナルビデオ
[編集]- 日本一の悪女? 雅美のパワーオブラブ(1993年)
テレビドラマ
[編集]- いちばん太鼓(1985年、NHK) - 五條まどか 役
- 妻たちの課外授業II(1987年、日本テレビ)
ラジオ
[編集]- まさみの素敵な夜に(ラジオ日本)
著書
[編集]- 悪い女かしら―私の幸せさがしの旅(イースト・プレス、1991年12月刊)ISBN 4900568368
- 悪い女でごめんね―男と女のふれあいの旅(イースト・プレス、1992年10月刊)ISBN 4900568511
脚注
[編集]- ^ a b c 駒村吉重「上原謙・大林雅子『37歳・年の差婚』の末路」『新潮45』2006年9月号、pp.59-61
- ^ a b c 山下勇蔵「ワイドショーの視聴率をあげた大林雅子に見る"女の真実"」『噂の眞相』1991年11月号、pp.38-43
- ^ 「今度は銀座に『高齢者』お見合いスナックの『大林雅美』」『週刊新潮』2010年9月2日号、pp.49-50
- ^ ビートたけし「恐怖の新宗教"貝の家族" たけしが明かすまこん教 教組は大林雅子」『たけしの「号外」!!』洋泉社、1998年、p.51
- ^ 井筒和幸『ガキ以上、愚連隊未満。』ダイヤモンド社、2010年、pp.220-221
- ^ a b 「今度は銀座に『高齢者』お見合いスナックの『大林雅美』」『週刊新潮』2010年9月2日号、pp.49-50
- ^ 「『仲宗根美樹』の銀座バーに転がり込んだ『大林雅美』」『週刊新潮』2009年5月7日・14日合併号、pp.61-62
- ^ “大林雅美さん、銀座にスナックを開店”. サンケイスポーツ. (2010年8月26日) 2010年8月26日閲覧。
- ^ 「上原謙の元妻が開くバーで中高年が繰り広げる『婚活』」『週刊朝日』2010年11月12日号、p.126