大島義浮
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大島 義浮(おおしま よしひろ、1668年(寛文8年) - 1746年9月23日(延享3年8月9日))は、江戸時代中期の旗本寄合席で加治田大島氏。通称は左兵衛、小太郎、初名は義延。別名に織部義浮[1]。父は大島義保、母は天方倶通の娘。妻は松平忠周の娘。子に大島義勝、山岡景藤、養子に大島義陳がいる。
生涯
[編集]- 1673年(延宝元年)7月11日、6歳で家督を相続し、小普請組となる。
- 1698年(元禄11年)8月18日、小姓組となる。
- 1699年(元禄12年)10月22日、火事場目付となる(1700年(元禄13年)1月23日廃止)。
- 1702年(元禄15年)2月28日、小十人頭となる。
- 1725年(享保10年)6月18日、目付となる。
- 1731年(享保16年)1月11日、御先鉄砲頭をつとめる。
- 1737年(元文2年)4月に加治田村平井家へ刀差免文書、1741年(寛保元年)8月に平井家へ門並役免除の文書を出す。
- 1746年(延享3年)1月21日、老齢により職を辞し、旗本寄合席に列した。
- 1746年(延享3年)8月9日死去。79歳。法名は勝林院殿久扇義長居士。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 新訂寛政重修諸家譜2