大家令 (イングランド)
イギリス 大家令 Lord High Steward | |
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種類 | 国務大官 |
任命 | イギリス国王 |
任期 | 陛下の仰せのままに |
創設 | 1154年 |
初代 | 第2代レスター伯爵ロベール・ド・ボーモン |
最後 | サー・ゴードン・メッセンジャー |
大家令(だいかれい、英語: Lord High Steward)はイギリスの国務大官の1位にあたる官職で、大法官の上にあたる。1421年以降のほとんどの時期は空位であり、特定の式典のために特別に任命されるにすぎず、現代ではその式典も戴冠式に限定されている。
イギリスの君主の戴冠式において、大家令は聖エドワード王冠を持つ役割がある。また以前は貴族院における貴族の弾劾裁判で裁判官を務め、判決を下す役割もあったが、貴族院における貴族の弾劾裁判は1948年刑事裁判法により廃止された[1]。過去の貴族弾劾裁判では大法官が臨時の大家令に任命されることが多く、また議会の閉会中は貴族弾劾裁判を行う「大家令裁判所」(Court of the Lord High Steward)もあった。
歴史
[編集]大家令は12世紀のイングランド王ヘンリー2世がイングランドの慣習に従い、第2代レスター伯爵ロベール・ド・ボーモンと初代ノーフォーク伯爵ヒュー・ビゴッドを世襲の家令に任命したことが始まりだった[2]。以降レスター伯爵はノーフォーク伯爵の継承権を騎士10人の値段で買い取り、第6代レスター伯爵シモン・ド・モンフォールまでレスター伯爵が代々大家令の職を世襲した[2]。第6代レスター伯爵が1265年にイーヴシャムの戦いで戦死すると、エドマンド・オブ・ランカスターが一代限りで大家令に任命された[3]。その後継者のトマスはエドワード2世から改めて大家令の世襲権を獲得、さらにエドワード2世の統治が弱体である情勢に乗じて大家令の権力を大幅に強化した[2]。
トマスは1322年に処刑され、後に公権喪失が取り消されるものの子供がいなかったため弟ヘンリーが大家令を相続した[2]。以降大家令の職はレスター伯爵の爵位が吸収したものとして扱われ、歴代ランカスター伯爵とランカスター公爵(いずれもレスター伯爵と兼位)が大家令を世襲した[2][3]。この時期にも大家令の権威が増し、第3代ランカスター伯爵および第3代レスター伯爵ヘンリーはエドワード3世の戴冠式(1327年)を、初代ランカスター公爵および第6代レスター伯爵ジョン・オブ・ゴーントはリチャード2世の戴冠式(1377年)を主導、1397年にはジョン・オブ・ゴーントが第4/11代アランデル伯爵リチャード・フィッツアランの裁判で裁判官を務めた[2]。1399年にヘンリー4世が即位すると、彼は息子トマス・オブ・ランカスター(後の初代クラレンス公爵)を大家令に任命したが、クラレンス公の没後は常設の官職ではなくなった[2][3]。1421年以降、戴冠式や貴族の弾劾裁判など特別な場合にのみ臨時に設けられることとなった[3]。
スコットランドとアイルランドではスコットランド大家令とアイルランド大家令という同様の官職があり、それぞれスコットランド王位の法定推定相続人(ロスシー公爵)とシュルーズベリー伯爵[4](アイルランド貴族のウォーターフォード伯爵という爵位も保有)が就いている。
イングランド大家令(1154年 – 1421年)
[編集]- 1154年 – 1168年: 第2代レスター伯爵ロベール・ド・ボーモン
- 1168年 – 1190年: 第3代レスター伯爵ロベール・ド・ボーモン
- 1190年 – 1204年: 第4代レスター伯爵ロベール・ド・ボーモン
- 1206年 – 1218年: 第5代レスター伯爵シモン・ド・モンフォール
- 1218年 – 1239年: 不明、おそらく空位
- 1239年 – 1265年: 第6代レスター伯爵シモン・ド・モンフォール
- 1265年 – 1296年: 初代ランカスター伯爵および初代レスター伯爵エドマンド
- 1296年 – 1322年: 第2代ランカスター伯爵および第2代レスター伯爵トマス
- 1322年 – 1324年: 不明、おそらく空位
- 1324年 – 1345年: 第3代ランカスター伯爵および第3代レスター伯爵ヘンリー
- 1345年 – 1361年: 初代ランカスター公爵および第4代レスター伯爵ヘンリー・オブ・グロスモント
- 1362年 – 1399年: 初代ランカスター公爵および第6代レスター伯爵ジョン・オブ・ゴーント
- 1399年: 第2代ランカスター公爵および第7代レスター伯爵ヘンリー・ボリングブルック
- 1399年 – 1421年: 初代クラレンス公爵トマス・オブ・ランカスター
イングランド大家令(1422年以降)
[編集]本節の一覧は1660年以前については不完全である。
戴冠式
[編集]貴族裁判
[編集]脚注
[編集]- ^ "Criminal Justice Act 1948, section 30" (英語). 2019年5月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k Vernon-Harcourt, Leveson William (1911). Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 17 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 3–4. . In
- ^ a b c d 松村, 赳、富田, 虎男『英米史辞典』研究社、東京都千代田区、2000年、433頁。ISBN 978-4767430478。
- ^ “Shrewsbury, Earl of (E, 1442)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2023年5月20日閲覧。
- ^ Proceedings and Ordinances of the Privy Council of England, Vol. 4 (8 H. VI to 14 H. VI), ed. by Sir Harris Nicholas, 1835, pp. 3-4; (here linked as pdf)
- ^ Richard III and the Death of Chivalry, by David Hipshon, 2011
- ^ Squires, Knights, Barons, Kings: War and Politics in Fifteenth Century England; by Wm. E. Baumgaertner, 2010
- ^ “The Coronation of Queen Elizabeth”. History Today. 10 January 2012閲覧。
- ^ Cook, Chris; Wroughton, John (1980). English Historical Facts 1603–1688 (英語) (1st ed.). The Macmillan Press. p. 59. ISBN 978-1-349-02676-0。
- ^ a b c d e Cook, Chris; Stevenson, John (1988). British Historical Facts 1688–1760 (英語) (1st ed.). The Macmillan Press. p. 81. ISBN 978-1-349-02369-1。
- ^ a b c d e f g h i Cook, Chris; Stevenson, John (1988). British Historical Facts 1688–1760 (英語) (1st ed.). The Macmillan Press. p. 82. ISBN 978-1-349-02369-1。
- ^ "No. 27489". The London Gazette (Supplement) (英語). 29 October 1902. p. 6865.
- ^ "No. 28535". The London Gazette (Supplement) (英語). 27 September 1911. p. 7084.
- ^ "No. 34453". The London Gazette (Supplement) (英語). 10 November 1937. p. 7051.
- ^ "No. 40020". The London Gazette (Supplement) (英語). 20 November 1953. p. 6238.
- ^ “Roles to be performed at the Coronation Service at Westminster Abbey”. The Royal Family (2023年4月27日). 2023年5月5日閲覧。
- ^ "No. 28536". The London Gazette (英語). 29 September 1911. p. 7121.
外部リンク
[編集]- Harcourt, Lewis Vernon (1907). His Grace the Steward and trial of peers. London: Longmans, Green & Co