大家七平
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4代 大家 七平(おおや[1] / おおいえ[要出典] しちへい、1865年12月15日(慶応元年10月28日[2][3])- 1929年(昭和4年)1月29日[1])は、明治・大正期の海事実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧姓・広海。
経歴
[編集]船持商人・4代広海二三郎の息子として加賀国江沼郡瀬越村(石川県江沼郡大聖寺町瀬越を経て、加賀市大聖寺瀬越町)で生まれた[4][5]。同じ瀬越の有力船持商人・3代大家七平が1886年(明治19年)[注 1]に死去し、その死跡を継いで4代大家七平を襲名した[2][3][5]。
拠点を大阪に移し、持船の汽船への転換を進めた[5]。1896年(明治29年)逓信省より新潟とウラジオストク間、函館とコルサコフ間の航路(命令航路)を開設[5]。1902年(明治35年)には汽船2隻、西洋型帆船5隻を所有していた[5]。1903年(明治36年)大家商船合資会社を設立して代表社員となる[5]。日露戦争には御用船に汽船3隻を提供した[5]。1907年(明治40年)鉱山業を開始し、1921年(大正10年)大家商事 (株) を設立した[5]。その他、日本海上保険取締役、大阪瓦斯社長、日本海運業同盟会阪神支部委員、大阪商工協会名誉会員などを務めた[1]。
1911年(明治44年)石川県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1912年(明治45年)5月23日まで在任した[1][7]。
1929年1月、大阪で死去した[5]。