大塚山古墳 (野洲市)
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大塚山古墳 | |
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墳丘(中央に主丘部、左に前方部) | |
所属 | 大岩山古墳群 |
所在地 | 滋賀県野洲市辻町(字大塚山) |
位置 | 北緯35度4分38.60秒 東経136度2分30.65秒 / 北緯35.0773889度 東経136.0418472度座標: 北緯35度4分38.60秒 東経136度2分30.65秒 / 北緯35.0773889度 東経136.0418472度 |
形状 | 帆立貝形古墳 |
規模 |
直径57m(主丘部) 高さ7.3m |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 滑石製模造品・短甲・ガラス玉・須恵器・埴輪・盾形木製品 |
築造時期 | 5世紀前半(または5世紀中葉) |
史跡 | 国の史跡「大岩山古墳群」に包含 |
地図 |
大塚山古墳(おおつかやまこふん)は、滋賀県野洲市辻町にある古墳。形状は帆立貝形古墳。大岩山古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。
概要
[編集]地区 | 古墳名 | 墳丘 | 築造時期 | |
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冨波 | 冨波古墳 | 前方後方墳 | 墳丘長42m | 3c後半 |
古冨波山古墳 | 円墳 | 直径30m | 3c後半 | |
辻町 | 大塚山古墳 | 帆立貝形古墳 | 5c前半 | |
冨波 | 亀塚古墳 | 帆立貝形古墳 | 墳丘長47m | 5c後半-末 |
小篠原 | 天王山古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長50m | 6c初頭 |
円山古墳 | 円墳 | 直径28m | 6c前半 | |
甲山古墳 | 円墳 | 直径30m | 6c中葉 | |
辻町 | 宮山2号墳 | 円墳 | 直径15m | 6c末-7c前半 |
滋賀県南部、野洲川右岸の旧家棟川扇状地に築造された古墳である。近年に史跡整備に伴う発掘調査が実施されている[1]。
墳形は前方部(方形部)が短小な帆立貝形の前方後円形で、前方部を北西方向に向ける。墳丘の段築は2段以上で、大部分は盛土による[2]。主丘部は直径約57メートル・高さ7.3メートルを測る[1]。前方部は長さ8.5メートルを測るが、くさび状の食い込みによって2:1に分割され、東西に幅22メートル(西側)・11メートル(東側)の2つが並び造り出された特異な形態になる[3][2]。墳丘外表では葺石のほか、円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(鶏形・船形・水鳥形・家形・蓋形埴輪、東側造出周辺出土)・盾形木製品が検出されている[2]。また墳丘周囲には幅13-20メートルの周濠が巡らされるほか、その外側にも外堤と幅3メートル以上の溝が巡らされており、周濠・外堤・溝を含めた全長は105メートルにおよぶ[2]。埋葬施設は明らかでないが、副葬品として滑石製模造品・短甲・ガラス玉・須恵器などが検出されている[2]。築造時期は古墳時代中期の5世紀前半[1][2](または5世紀中葉)[4]頃と推定される。
古墳域は1985年(昭和60年)に国の史跡に指定されている(史跡「大岩山古墳群」のうち)[5]。
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主丘部墳頂
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前方部正面
前方部は中央左で2つに分断される。
遺跡歴
[編集]関連施設
[編集]- 野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)(野洲市辻町)
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 大岩山古墳群パンフレット (PDF) (野洲市教育委員会文化財保護課 桜生史跡公園案内所(リンクは野洲市観光物産協会))
- 史跡説明板(旧野洲町教育委員会2004年設置板、野洲市教育委員会2004年設置板)
- 「大岩山古墳群」 (PDF) 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課、2004年(滋賀県総合教育センター「滋賀県文化財学習シート」)。
- 「大岩山古墳群」『滋賀県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系25〉、1991年。ISBN 4582490255。
- 杉本源造「大塚山古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『史跡大岩山古墳群 大塚山古墳調査整備報告書 -野洲市辻町字六ノ坪所在-』野洲市教育委員会、2006年。