古冨波山古墳
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古冨波山古墳 | |
---|---|
墳丘 | |
所属 | 大岩山古墳群 |
所在地 | 滋賀県野洲市冨波乙(字古冨波) |
位置 | 北緯35度4分43.25秒 東経136度1分54.57秒 / 北緯35.0786806度 東経136.0318250度座標: 北緯35度4分43.25秒 東経136度1分54.57秒 / 北緯35.0786806度 東経136.0318250度 |
形状 | 円墳 |
規模 | 直径26-30m |
埋葬施設 | (推定)木棺直葬 |
出土品 | 銅鏡3面 |
築造時期 | 3世紀後半 |
史跡 | 国の史跡「大岩山古墳群」に包含 |
有形文化財 | 三角縁三神五獣鏡(野洲市指定文化財) |
地図 |
古冨波山古墳(ことばやまこふん)は、滋賀県野洲市冨波乙にある古墳。形状は円墳。大岩山古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。出土鏡1面は野洲市指定有形文化財に指定されている。
概要
[編集]地区 | 古墳名 | 墳丘 | 規模 | 築造時期 | |
---|---|---|---|---|---|
冨波 | 冨波古墳 | 前方後方墳 | 墳丘長42m | 3c後半 | |
古冨波山古墳 | 円墳 | 直径30m | 3c後半 | ||
辻町 | 大塚山古墳 | 帆立貝形古墳 | 5c前半 | ||
冨波 | 亀塚古墳 | 帆立貝形古墳 | 墳丘長47m | 5c後半-末 | |
小篠原 | 天王山古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長50m | 6c初頭 | |
円山古墳 | 円墳 | 直径28m | 6c前半 | ||
甲山古墳 | 円墳 | 直径30m | 6c中葉 | ||
辻町 | 宮山2号墳 | 円墳 | 直径15m | 6c末-7c前半 |
滋賀県南部、野洲川右岸の扇状地に築造された古墳である。北約150メートルには冨波古墳が所在する[1]。1896年(明治29年)に開墾中に銅鏡3面が出土したことが知られるほか、1974年(昭和49年)に発掘調査が実施されている[1]。
墳形は円形と推定され、直径26-30メートルを測る[1]。墳丘外表で葺石は検出されていない。また墳丘周囲に周濠も確認されていない[1]。埋葬施設は木棺直葬と推定される[1]。副葬品としては前述の銅鏡3面があり、いずれも舶載の三角縁神獣鏡で、各地の古墳の出土鏡と同笵関係にあることが明らかとなっている[1]。
築造時期は、古墳時代初頭の3世紀後半頃と推定される[2]。大岩山古墳群8基のうちでは冨波古墳に後続する首長墓に位置づけられ、野洲川流域では最初に三角縁神獣鏡が配布された古墳になる[3][2]。
古墳域は1985年(昭和60年)に国の史跡に指定されている(史跡「大岩山古墳群」のうち)[4]。
遺跡歴
[編集]- 1896年(明治29年)、開墾中に古墳北隅から銅鏡3面が出土[1]。
- 1974年(昭和49年)、宅地開発に伴う発掘調査。円墳と推定(滋賀県教育委員会、1975年に報告)[1]。
- 1985年(昭和60年)2月7日、国の史跡に指定(史跡「大岩山古墳群」のうち)[4]。
- 2002年(平成14年)3月25日、出土三角縁三神五獣鏡が野洲市指定有形文化財に指定[5]。
出土品
[編集]1896年(明治29年)の出土鏡3面の詳細は次の通り。
- 三角縁陳氏作四神二獣鏡
- 三角縁王氏作四神四獣鏡
- 三角縁三神五獣鏡
文化財
[編集]野洲市指定文化財
[編集]- 有形文化財
- 三角縁三神五獣鏡(考古資料) - 野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)寄託。2002年(平成14年)3月25日指定[5]。
関連施設
[編集]- 野洲市歴史民俗博物館(銅鐸博物館)(野洲市辻町)
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 大岩山古墳群パンフレット (PDF) (野洲市教育委員会文化財保護課 桜生史跡公園案内所(リンクは野洲市観光物産協会))
- 史跡説明板(滋賀県教育委員会1993年設置板、野洲市教育委員会2009年設置板)
- 「大岩山古墳群」『滋賀県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系25〉、1991年。ISBN 4582490255。
- 丸山竜平「古冨波山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 杉本源造「古冨波山古墳」『続 日本古墳大辞典』東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 「野洲郡野洲町冨波遺跡調査報告書」『昭和48年度滋賀県文化財調査年報』滋賀県教育委員会、1975年。