大同病院・だいどうクリニック
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(大同病院から転送)
大同病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 社会医療法人宏潤会 大同病院 |
英語名称 | Daido Hospital |
標榜診療科 | 内科、神経内科、リウマチ科、呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、腫瘍内科、腎臓内科、老年内科、内視鏡内科、人工透析内科、小児科、小児科(新生児)、小児外科、外科、脳神経外科、整形外科、放射線科、麻酔科、リハビリテーション科、消化器外科、乳腺外科、放射線診断科、放射線治療科、眼科、耳鼻いんこう科、皮膚科、泌尿器科、産婦人科、精神科、病理診断科、臨床検査科、救急科、歯科、歯科口腔外科 |
許可病床数 |
404床 一般病床:394床 結核病床:10床 |
機能評価 | 一般病院2(200~499床)(主たる機能):3rdG:Ver.2.0 |
開設者 | 社会医療法人宏潤会 |
管理者 | 野々垣 浩二(院長) |
開設年月日 | 1939年(昭和14年) |
所在地 |
〒457-8511 |
位置 | 北緯35度4分28.6秒 東経136度54分25.6秒 / 北緯35.074611度 東経136.907111度座標: 北緯35度4分28.6秒 東経136度54分25.6秒 / 北緯35.074611度 東経136.907111度 |
二次医療圏 | 名古屋 |
PJ 医療機関 |
大同病院(だいどうびょういん)およびだいどうクリニックは、愛知県名古屋市南区白水町にある医療機関である。
歴史
[編集]日中戦争の直前に、大同製鋼(現:大同特殊鋼)は特殊鋼材の専門工場として星崎工場の建設にとりかかった。製鋼のような軍需産業には、多く人々が徴用され、工場に集められた。そのため、衛生問題、疾病、病人救護などの対策が急務であった。このような社会情勢の中、大同製鋼専務川崎舎恒三が旧制一高で同級生であった勝沼精蔵教授に相談し、病院発足の検討が始まる。二人の考えに共鳴した大同製鋼下出義雄社長の力強い後ろ盾のもと、勝沼教授の推薦より皿井進博士を迎え病院設立が開始される。
沿革
[編集]- 1938年(昭和13年)9月 - 皿井進博士を迎え病院設立準備開始[1]。
- 1939年(昭和14年)9月 - 名古屋市南区道徳新町5丁目2番地において大同製鋼病院として創業[1]。院長は皿井進博士[1]。診療科目として内科・外科を設置[1]。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)4月 - 名古屋市熱田区六野町1番地において業務再開[1]。
- 1948年(昭和23年)
- 1959年(昭和34年)9月 - 伊勢湾台風に被災する[1]。
- 1962年(昭和37年)10月 - 横須賀大同病院を東海産業医療団に譲渡する[1]。
診療科
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交通アクセス
[編集]自家用車
[編集]公共交通機関
[編集]脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 社会医療法人宏潤会 Daido TV - YouTubeチャンネル