大原羑子
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大原 羑子(おおはら ゆうこ ”ゆうこ”の”ゆう”は、”美しい”の上部分の下に”久”、1943年3月22日生まれ)は、ファッションブランド「燐 Rin」のパタンナーを務める。
略歴
[編集]- 1995年9月 「貝殻の標本~死装束の展覧会」(東京 文芸坐ル・ピリエ)「私は死んでも好きな服が着たい」この考えをもとに記憶の抜け殻としての服(死装束)を発表。コンセプチュアル・アートとして様々な物議と反響を得る。
- 1998年 千葉 国立歴史民俗博物館にて「死装束を用意するということ」講演。
- 1999年6月 「ファッションコラボレート・BIRTH」(福岡西鉄ホールプロデュース)帽子デザイナー、田中重子氏とのコラボレート・ファッションショーに洋服パタンナーとして参加。
- 1999年6月 ファッションブランド「燐~Rin」パタンナーに。
- 1999年12月 貝殻の標本がNHKドキュメントにっぽんにおいて「旅立ちはドレスで」というドキュメンタリー番組となり、多大な反響を得る。
出典
[編集]- 『ドキュメントにっぽん 旅立ちはドレスで』日本放送協会、1999年12月10日 。[1]
- 椿ラボ[2]
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 「燐 Rin」