コンテンツにスキップ

大原羑子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大原ゆう子から転送)

大原 羑子(おおはら ゆうこ ”ゆうこ”の”ゆう”は、”美しい”の上部分の下に”久”、1943年3月22日生まれ)は、ファッションブランド「燐 Rin」のパタンナーを務める。

略歴

[編集]
  • 1995年9月 「貝殻の標本~死装束の展覧会」(東京 文芸坐ル・ピリエ)「私は死んでも好きな服が着たい」この考えをもとに記憶の抜け殻としての服(死装束)を発表。コンセプチュアル・アートとして様々な物議と反響を得る。
  • 1998年 千葉 国立歴史民俗博物館にて「死装束を用意するということ」講演。
  • 1999年6月 「ファッションコラボレート・BIRTH」(福岡西鉄ホールプロデュース)帽子デザイナー、田中重子氏とのコラボレート・ファッションショーに洋服パタンナーとして参加。
  • 1999年6月 ファッションブランド「燐~Rin」パタンナーに。
  • 1999年12月 貝殻の標本がNHKドキュメントにっぽんにおいて「旅立ちはドレスで」というドキュメンタリー番組となり、多大な反響を得る。

出典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 福岡市に住む大原ゆう子さん(56)は、人生の最後にまとう衣装“死に装束”のデザイナー。大原さんのドレスと出会った人々が、今までの自分の人生を見つめ直し、残された人生を前向きに歩んでいく姿を描く。
  2. ^ 1995 9月「貝殻の標本~死装束の展覧会」東京 文芸坐ル・ピリエ 貝殻の標本コンセプト「私は死んでも好きな服が着たい」この考えをもとに記憶の抜け殻としての服(死装束)を発表。コンセプチュアルアートとして様々な物議と反響を得る。以後、大阪扇町ミュージアムスクエア、東京文芸座ルピリエで、98年まで4度の再演。熊本現代美術館にて、現代アートとしての展示。

外部リンク

[編集]