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大久保忠明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大久保 忠明
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 延宝2年(1674年
死没 元禄5年10月2日1692年11月9日
別名 右近、左門
戒名 観明院殿日静
墓所 東京都北区田端の大久寺
主君 徳川家綱綱吉
氏族 石川氏大久保氏
父母 父:石川総良、母:本多忠義の娘
兄弟 総茂忠明、女子(近藤徳用室)
養子:総比
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大久保 忠明(おおくぼ ただあきら)は、江戸時代前期から中期の旗本。曾祖父石川忠総の出自である大久保姓を名乗るが、3代総朋の代で石川姓に復した。伊勢神戸藩(後に常陸下館藩)支族である忠明系石川家(大久保家)は明治維新まで旗本家として続いた。

生涯

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延宝2年(1674年)伊勢亀山藩石川家支藩2代(伊勢神戸藩2代)石川総良の次男として誕生した。父死去後、貞享2年9月2日(1685年9月29日)兄総茂から父の遺領の内より河内国石川郡古市郡で3千石の分与を受け、旗本寄合席に列した。同月21日(10月18日)将軍徳川綱吉に拝謁した。桐間番、御小姓中奥御小姓を勤め、元禄5年10月2日(1692年11月9日)死去した。父総良の従弟にあたる石川総昌の次男総比が家督を継いだ。

なお、河内の領国支配のため石川郡東山村(現大阪府南河内郡河南町東山)に陣屋(東山陣屋)が設けられた。

脚注

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参考文献

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関連項目

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