大久保利和
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大久保 利和 おおくぼ としなか | |
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大久保利和・尚夫妻 | |
生年月日 |
1859年8月5日 (安政6年7月7日) |
出生地 | 日本 薩摩国鹿児島郡鹿児島城下 |
没年月日 | 1945年1月20日(85歳没) |
出身校 | 開成学校 |
前職 | 甲武鉄道社長 |
称号 |
正二位 勲三等瑞宝章 侯爵 |
親族 |
大久保利通(父) 牧野伸顕(弟) 大久保利武(弟) |
選挙区 | 侯爵議員 |
在任期間 | 1890年2月 - 1928年6月5日 |
大久保 利和(おおくぼ としなか、1859年8月5日(安政6年7月7日)- 1945年(昭和20年)1月20日[1])は、日本の実業家、政治家、華族。貴族院侯爵議員。位階・勲等・爵位は正二位勲三等侯爵。通称は彦熊[2]、彦之進[1]。
経歴
[編集]薩摩国鹿児島郡鹿児島城下で、大久保正助(利通)と満寿子夫妻の長男として生まれる[1][2][3]。明治4年(1871年)、岩倉使節団に随行して渡米し、普通学研修のためフィラデルフィアの中学校に入学[2][4][5]。1874年に帰国して開成学校に入学した[2][3][5]。
1878年、19歳の時に父・利通が紀尾井坂の変で暗殺される。同年、父の勲功により華族に列し[2]、1884年7月7日に侯爵を叙爵[6]。1885年、大蔵権少書記官となり、さらに大蔵省主計官を務めた[7]。1890年2月、帝国議会開設に伴い貴族院侯爵議員に就任した[7]。
1878年10月、東京 – 青森間の鉄道建設計画に参加し、また1881年11月に岩倉具視らと日本初の私鉄・日本鉄道を設立[3]。その後、甲武鉄道の副社長、社長を務めた[3]。1894年、沖縄鉄道を出願したが資金難で実現しなかった[3]。
1928年6月5日に隠居し[8]、貴族院侯爵議員の資格を失い[9]、夫婦の間に子が無かった事から、大久保侯爵家の家督は弟の利武が同月15日に相続した[10]。墓所は青山霊園。
栄典
[編集]- 1887年(明治20年)12月26日 - 正五位[11]
- 1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[12]
- 1890年(明治23年)6月18日 - 従四位[13]
- 1893年(明治26年)6月16日 - 正四位[14]
- 1896年(明治29年)3月29日 - 銀盃一組[15]
- 1898年(明治31年)6月20日 - 従三位[16]
- 1903年(明治36年)6月30日 - 正三位[17]
- 1907年(明治39年)4月1日 - 勲四等旭日小綬章[18]
- 1911年(明治44年)7月10日 - 従二位[19]
- 1912年(大正元年)8月1日 - 韓国併合記念章[20]
- 1914年(大正3年)6月18日 - 勲三等瑞宝章[21]
- 1920年(大正9年)7月20日 - 正二位[22]
- 1938年(昭和13年)1月15日 - 御紋付銀盃[23]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[24]
親族
[編集]編著
[編集]共編『大久保利通文書 第1-10』〈日本史籍協会叢書〉日本史籍協会、1927年。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』上巻、276-277頁。
- ^ a b c d e 『明治時代史大辞典 第一巻』319頁。
- ^ a b c d e 『鉄道史人物事典』83頁。
- ^ 『海を越えた日本人名事典』新訂増補、164頁。
- ^ a b 『大久保家秘蔵写真』36頁。
- ^ 『官報』第307号、明治17年7月8日。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』14頁。
- ^ 『官報』第433号、昭和3年6月8日。
- ^ 『官報』第434号、昭和3年6月9日。
- ^ 『官報』第440号、昭和3年6月16日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1887年12月29日。
- ^ 『官報』第1943号「叙任及辞令」1889年12月18日。
- ^ 『官報』第2092号「叙任及辞令」1890年6月21日。
- ^ 『官報』第2989号「叙任及辞令」1893年6月17日。
- ^ 『官報』第3843号・号外「辞令」1896年4月24日。
- ^ 『官報』第4491号「叙任及辞令」1898年6月21日。
- ^ 『官報』第5998号「叙任及辞令」1903年7月1日。
- ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第8415号「叙任及辞令」1911年7月11日。
- ^ 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
- ^ 『官報』第565号「叙任及辞令」1914年6月19日。
- ^ 『官報』第2391号「叙任及辞令」1920年7月21日。
- ^ 『官報』第3309号「宮廷録事 - 恩賜」1938年1月17日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 大久保利泰監修『大久保家秘蔵写真 大久保利通とその一族』国書刊行会、2013年。
- 鉄道史学会編『鉄道史人物事典』日本経済評論社、2013年。
- 宮地正人・佐藤能丸・櫻井良樹編『明治時代史大辞典 第一巻』吉川弘文館、2011年。
- 富田仁編『海を越えた日本人名事典』新訂増補、日外アソシエーツ、2005年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
侯爵 大久保(利通)家初代 1884年 - 1928年 |
次代 大久保利武 |