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大中臣常道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大中臣 常道(おおなかとみ の つねみち、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族神職官位従五位下丹波介

経歴

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神祇官官人(神祇大祐)として、清和朝にて以下の通り各地の神社に派遣された。

陽成朝元慶2年(878年従五位下叙爵する一方、神祇少副として以下の通り伊勢大神宮への遣使を務めた。

光孝朝に入ると、元慶8年(884年神祇伯棟貞王らとともに伊勢大神宮に繁子内親王の斎宮卜定を告げ[7]、翌元慶9年(885年丹波介に任ぜられている。

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』貞観9年4月2日条
  2. ^ 『日本三代実録』貞観12年4月2日条
  3. ^ 『日本三代実録』貞観13年9月11日条
  4. ^ 『日本三代実録』貞観15年7月19日条
  5. ^ 『日本三代実録』元慶元年2月23日条
  6. ^ 『日本三代実録』元慶5年12月11日条
  7. ^ 『日本三代実録』元慶8年4月10日条

参考文献

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