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多田侑史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平成2年麹町裏千家東京道場にて 多田侑史75歳当時

多田 侑史(ただ ゆうし/ゆうじ、本名:多田嘉三郎(嘉七とも)[1][2][3]1915年 - 2013年2月25日)は、茶人、有職故実研究者。関東における裏千家茶道布教に尽力。裏千家東京出張所初代所長。薪能再興の中心人物。

出自

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生家は神戸本山(現在の岡本)[4]大阪の繊維問屋「多田利」を営む。谷崎潤一郎をして神童と言わしめた天才。谷崎潤一郎が阪神間本山に住んだ時の家主の息子。

戦後の混乱期、私財を投じて武智鉄二らと雑誌『観照』を刊行(1946年 - 1952年)、谷崎を始めとする多くの文化人を支援する。のち本業の繊維問屋が左前になると嘉七の名を廃して上京、産経新聞社に入り、のち裏千家15代家元千宗室の執事役を務める。京大教授の多田道太郎は甥(森彰英)。

特に親しい交友関係に三島由紀夫市川右太衛門観世栄夫桜馬道男坂東三津五郎池田彌三郎松田修小西甚一森川昭林屋晴三三隅治雄などがいる。 頻繁に勉強会を開催し熊倉功夫筒井紘一等の多くの茶道研究家を育てる。

著書

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  • 『数寄―茶の湯の周辺』角川選書、1985年。ISBN 978-4047031630 

脚注

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  1. ^ 戸板康二『回想の戦中戦後』青蛙房、1979年6月25日、120頁。 
  2. ^ 「嘉七」は家代々の名
  3. ^ 森彰英『武智鉄二という藝術』水曜社、2010年12月25日、252頁。ISBN 978-4880652474 
  4. ^ 「歌舞伎学会誌歌舞伎研究と批評」第24巻、雄山閣出版、1999年12月10日。