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多治比水守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
多治比水守
時代 飛鳥時代 - 奈良時代
生誕 不明
死没 和銅4年4月15日711年5月7日
官位 従四位下宮内卿
主君 文武天皇元明天皇
氏族 多治比氏
父母 父:多治比嶋[1]
兄弟 池守水守縣守広成広足、阿伎良
土作[2]
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多治比 水守(たじひ の みずもり)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族左大臣多治比嶋の子。官位従四位下宮内卿

経歴

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大宝2年(702年尾張守を務めていた際に、文武天皇行幸があり、封戸10戸を与えられた(このときの位階従五位下[3]。その後も尾張守(再任)・河内守近江守と文武朝から元明朝にかけて地方官を歴任し、和銅2年(709年)には従四位下に至っている。また、同年9月に藤原房前による東海東山道の行政監察が行われた際、国司としての統治の功績を賞されて田10町・穀200斛・衣1襲を与えられている[4]

和銅3年(710年)宮内卿に任じられ京官に遷るが、翌和銅4年(711年)4月15日卒去。最終官位は宮内卿従四位下。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『尊卑分脈』
  2. ^ 『公卿補任』
  3. ^ 『続日本紀』大宝2年11月13日条
  4. ^ 『続日本紀』和銅2年9月26日条

参考文献

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