多勢亀五郎
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多勢 亀五郎(龜五郎、たせ[1] かめごろう、1849年8月31日(嘉永2年7月14日[2])- 1919年(大正8年)6月9日[1])は、明治から大正前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。蚕糸業功労者[3]。
経歴
[編集]出羽国置賜郡漆山村(山形県東置賜郡漆山村、宮内町を経て現南陽市漆山)[3]で、多勢長兵衛の三男として生まれる[2]。安政5年2月(1858年)に分家した[2]。
1874年(明治7年)富岡製糸場から機械職工を招いて製糸工場を設立[3]。1884年(明治17年)多勢組を組織して蒸気機関を動力とした工事に拡張し、アメリカへも生糸を輸出し、さらに製糸の改善を図った[3]。
政界では1889年(明治22年)以降、漆山村会議員、同村長、東置賜郡会議員、同議長、山形県会議員などを務めた[1]。
1918年(大正7年)6月、貴族院多額納税者議員に互選され[2][3]、同年9月29日に就任し[1][4]、1919年6月、在任中に死去した[1][5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 山形放送株式会社山形県大百科事典事務局編『山形県大百科事典』山形放送、1983年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。