外村与左衛門
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外村 与左衛門(とのむら よざえもん)は、近江国神崎郡金堂村(現滋賀県東近江市五個荘金堂町)出身の近江商人、屋号は『布屋』・『近江屋』。歴代当主が襲名した名称。
歴代当主
[編集]- 外村与左衛門家[1]
- 外与株式会社創業家
- 始祖 金堂修之允
- 外村与左衛門 (初代):(生没年不明)1石7斗8升5合の零細な百姓家。
- 外村与左衛門 (2代)照玄:(生年不明 - 慶安5年(1652年)没)農業に従事。
- 外村与左衛門 (3代)照意:(元和9年(1623年)生 - 元禄2年(1689年)没)農業に精励し28石1斗1升6合に家産を増やす。
- 外村与左衛門 (4代)照信:(承応3年(1654年)生 - 正徳3年(1713年)没)病に罹り、5代が補佐する。
- 外村与左衛門 (5代)照敬:(天和2年(1682年)生 - 明和2年(1765年)没)本格的に行商を始め、外与の創業者と言われる。
- 外村与左衛門 (6代)浄秋:(享保7年(1722年)生 - 天明4年(1784年)没)
- 外村与左衛門 (7代)浄教:(宝暦3年(1753年)生 - 天明5年(1785年)没)
- 外村与左衛門 (8代)照秋・得候:(宝暦8年(1758年)生 - 文政5年(1822年)没)7代浄教の弟。
- 外村与左衛門 (9代)文成・基信:(天明8年(1788年)生 - 天保13年(1842年)没)外与の中興の祖と言われる。
- 外村与左衛門(繁左衛門) (10代)照成・応信:(文政8年(1825年)生 - 明治21年(1888年)没)
- 外村与左衛門 (11代)照誉・栄信:(嘉永6年(1853年)生 - 明治34年(1901年)没)
- 外村与左衛門 (12代)照信・為信:(明治11年(1878年)生 - 昭和17年(1942年)没)大阪アルカリ事件の原告となる。
一族
[編集]- 外村宗兵衛家[2]
- 外村長次郎栄哲:5代目与左衛門の弟
- 外村栄信:長次郎栄哲の子、妻は6代目与左衛門の娘「そゐ」
- 外村宗兵衛 (初代)義長:(安永7年(1778年)生 - 天保10年(1839年)没))栄信次男仙次郎、妻は7代目与左衛門の娘「もん」、外村宗兵衛家として独立する。
- 外村宗兵衛 (2代)義信:(文化元年(1804年)生 - 文久2年(1862年)没))
- 外村宗兵衛 (3代)義則:(文政10年(1827年)生 - 明治32年(1899年)没))
- 外村宗兵衛 (4代)義智:(安政3年(1856年)生 - 明治43年(1910年)没))
- 外村宇兵衛家[3]
- 外村宇兵衛 (初代)嘉久:(安永6年(1777年)生 - 文政3年(1820年)没))6代目与左衛門末子(7代目弟)
- 外村宇兵衛 (2代)元成:(文化5年(1808年)生 - 明治23年(1890年)没))宇野五郎左衛門次男、嘉久娘「みほ」婿
- 外村宇兵衛 (3代)元明:(天保14年(1843年)生 - 明治39年(1906年)没))外村宗兵衛義信4男与一郎
- 外村宇兵衛 (4代)元亨:(明治8年(1875年)生 - 昭和3年(1928年)没))
- 外村市郎兵衛家[4]
外市株式会社創業家
- 外村市郎兵衛 (初代)有常:(文化10年(1813年)生 - 明治6年(1931年)没))与左衛門家手代小兵衛(梅本藤兵衛次男)を9代与左衛門文成の長女「うの(とみ)」の婿とし市郎兵衛家として独立。
- 外村市郎兵衛 (2代)有慶:(天保7年(1836年)生 - 明治40年(1907年)没))10代与左衛門応信の娘「いと」を養女に迎え、奉公人佐一郎(上田源左衛門次男)を婿養子とした
- 外村市郎兵衛 (3代)有寿:(安政5年(1858年)生 - 昭和4年(1929年)没))2代市郎兵衛長女の娘「れい」に上田源左衛門(2代市郎兵衛兄)長男源次郎を婿養子とした
- その他の一族
- 外村善右衛門(3代与左衛門次男)
- 外村長次郎(5代与左衛門弟)
- 外村四郎右衛門(6代与左衛門弟)
- 外村甚吉(俳人)
- 外村彰 (国文学者)
- 外村明夫