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外村与左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
現在の外村与左衛門家本宅。

外村 与左衛門(とのむら よざえもん)は、近江国神崎郡金堂村(現滋賀県東近江市五個荘金堂町)出身の近江商人、屋号は『布屋』・『近江屋』。歴代当主が襲名した名称

歴代当主

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外村与左衛門家[1]
外与株式会社創業家

一族

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外村宗兵衛家[2]
  • 外村長次郎栄哲:5代目与左衛門の弟
  • 外村栄信:長次郎栄哲の子、妻は6代目与左衛門の娘「そゐ」
  • 外村宗兵衛 (初代)義長:(安永7年(1778年)生 - 天保10年(1839年)没))栄信次男仙次郎、妻は7代目与左衛門の娘「もん」、外村宗兵衛家として独立する。
  • 外村宗兵衛 (2代)義信:(文化元年(1804年)生 - 文久2年(1862年)没))
  • 外村宗兵衛 (3代)義則:(文政10年(1827年)生 - 明治32年(1899年)没))
  • 外村宗兵衛 (4代)義智:(安政3年(1856年)生 - 明治43年(1910年)没))
外村宇兵衛家[3]
  • 外村宇兵衛 (初代)嘉久:(安永6年(1777年)生 - 文政3年(1820年)没))6代目与左衛門末子(7代目弟)
  • 外村宇兵衛 (2代)元成:(文化5年(1808年)生 - 明治23年(1890年)没))宇野五郎左衛門次男、嘉久娘「みほ」婿
  • 外村宇兵衛 (3代)元明:(天保14年(1843年)生 - 明治39年(1906年)没))外村宗兵衛義信4男与一郎
  • 外村宇兵衛 (4代)元亨:(明治8年(1875年)生 - 昭和3年(1928年)没))
外村市郎兵衛家[4]

外市株式会社創業家

  • 外村市郎兵衛 (初代)有常:(文化10年(1813年)生 - 明治6年(1931年)没))与左衛門家手代小兵衛(梅本藤兵衛次男)を9代与左衛門文成の長女「うの(とみ)」の婿とし市郎兵衛家として独立。
  • 外村市郎兵衛 (2代)有慶:(天保7年(1836年)生 - 明治40年(1907年)没))10代与左衛門応信の娘「いと」を養女に迎え、奉公人佐一郎(上田源左衛門次男)を婿養子とした
  • 外村市郎兵衛 (3代)有寿:(安政5年(1858年)生 - 昭和4年(1929年)没))2代市郎兵衛長女の娘「れい」に上田源左衛門(2代市郎兵衛兄)長男源次郎を婿養子とした
その他の一族
  • 外村善右衛門(3代与左衛門次男)
  • 外村長次郎(5代与左衛門弟)
  • 外村四郎右衛門(6代与左衛門弟)
  • 外村甚吉(俳人)
  • 外村彰 (国文学者)
  • 外村明夫

脚注

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  1. ^ 「近江商人外村与左衛門家と家業」(上村雅洋 滋賀大学 1993年)
  2. ^ 「近江商人外村宗兵衛家と家訓」(上村雅洋 滋賀大学 1993年)
  3. ^ 「近世における近江商人外村宇兵衛家の経営」(上村雅洋 滋賀大学 1989年)
  4. ^ 「近江商人外村市郎兵衛家の経営」(上村雅洋 滋賀大学 1994年)

外部リンク

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  • 外与株式会社. “TONOYO”. 2013年6月26日閲覧。
  • 外市株式会社. “TONOICHI”. 2013年6月26日閲覧。