外務省 (エチオピア)
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外務省 | |
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የውጭ ጉዳይ ሚኒስቴር | |
組織の概要 | |
設立年月日 | 1907年 1995年8月23日 (エチオピア連邦民主共和国として) |
管轄 | エチオピア政府 |
本部所在地 | アディスアベバ Menelik II Ave 北緯9度01分09秒 東経38度45分45秒 / 北緯9.019158度 東経38.762614度 |
行政官 | |
上位組織 | 首相府 (エチオピア) |
ウェブサイト | www |
外務省(がいむしょう、アムハラ語: የውጭ ጉዳይ ሚኒስቴር)は、エチオピアの省のひとつ。エチオピアの外交政策の実施を担当する[1]。
現在の外務省は1995年8月23日に他の14の省と同じく、布告4-1995が可決されて設立された[2]。現在の副大臣はゲディオン・ティモテオス(2024年10月18日 - )。
歴史的には、外務省はエチオピア帝国時代から存在しているが、その組織構造と機能は時代とともに変貌を遂げてきた。帝政時代には、外務省はエチオピア皇帝の直属の管轄下として活動を行っていた。1974年のエチオピア革命後、エチオピアは共産主義政権の樹立(社会主義エチオピア、エチオピア人民民主共和国)など、国家形態が何度も大きく変わってきた。外務省は役割は変わらずとも、その時代時代の国際秩序に合わせ活動を行ってきた[3]。
外務省は、首相府やその他政府機関と連携し、帝政時代から変わらず外交政策を実施している。国際的な舞台でエチオピアを代表し、様々な問題についての交渉を行い、国際法、条約、協定に関する事項を取り扱っている。
歴代外務大臣
[編集]本節では帝政時代からの外務大臣を並べていく[4]:
- 1907–1910: ハイレ・ギヨルギス・ウォルデミカエル
- 1910–1911: イゲズ・ベハブテ
- 1912: ハブタ・ギヨルギス
- 1912–1916: ベイエネ・イマー
- 1916–1917: ムルゲタ・エガズ
- 1917: ウォルデ・メスケル・タリク(代理)
- 1917–1930: ハイレ・セラシエ1世
- 1930–1936: ヘルイ・ウォルデ・セラシエ
- 1941–1942: ロレンツォ・タエザス
- 1942–1943: エフレム・テウェルデメディン (代理)
- 1943–1958: アクリル・ハブテ=ウォルド (1949年まで代理)
- 1953: アンバイ・ウォルデ・マリアム (代理)
- 1958–1960: イルマ・デレッサ
- 1960–1961: ハディス・アレマエフ
- 1961: ミカエル・イムル
- 1961–1971: ケテマ・イフル
- 1971–1974: ミナッセ・ハイレ
- 1974: ゼウデ・ゲブレ=セラシエ
- 1974–1977: キフレ・ウォダヨ
- 1977–1983: フェレケ・ジェドル=ジョージス
- 1983–1986: ゴシュ・ウォルド
- 1986–1989: ベルハヌ・バイエ
- 1989–1991: テスファイ・ディンカ
- 1991: テスファエ・タデッセ
- 1991–2010: セユーム・メスフィン
- 2010–2012: ハイレマリアム・デサレン
- 2012: ベルハネ・ゲブレ=クリストス (代理)
- 2012–2016: テドロス・アダノム
- 2016–2019: ウォルクネ・ゲべエフ
- 2019–2020: ゲドゥ・アンダルガチョウ
- 2020–2024: デメケ・マコネン[5]
- 2024: タイエ・アツケセラシエ[5]
- 2024–現在: ゲディオン・ティモテオス
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ “Ministry of Foreign Affairs of Ethiopia - This is the official website of the Ministry of Foreign Affairs of the Federal Democratic Republic of Ethiopia”. 2024年12月24日閲覧。
- ^ Text of the proclamation[リンク切れ] (accessed 13 July 2010)
- ^ “History of the Ministry - Ministry of Foreign Affairs of Ethiopia” (30 August 2021). 2024年12月24日閲覧。
- ^ “Foreign ministers E-K”. Rulers.org. 2019年8月6日閲覧。
- ^ a b “The Ministry of Foreign Affairs of Ethiopia on X”. 2024年12月24日閲覧。