塩野義製薬中央研究所
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塩野義製薬中央研究所 | |
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情報 | |
用途 | 研究所 |
設計者 | 西澤文隆(坂倉準三建築研究所大阪支所) |
施工 | 竹中工務店 |
建築主 | 塩野義製薬 |
構造形式 | 鉄筋コンクリート構造 |
敷地面積 | 2,249.4 m² [1] |
延床面積 | 18,378 m² [1] |
状態 | 解体 |
階数 | 地上7階、地下1階 |
高さ | 31m |
竣工 | 1961年 |
解体 | 2014年 |
所在地 | 大阪府大阪市福島区鷺洲5-12-4 |
座標 | 北緯34度41分55.2秒 東経135度28分36秒 / 北緯34.698667度 東経135.47667度座標: 北緯34度41分55.2秒 東経135度28分36秒 / 北緯34.698667度 東経135.47667度 |
塩野義製薬中央研究所(しおのぎせいやくちゅうおうけんきゅうじょ)は、かつて大阪市福島区に所在した医薬品研究所である。坂倉建築研究所の西澤文隆により設計され、1961年に竣工したモダニズム建築であったが、2014年に解体された。
歴史
[編集]塩野義製薬の前身の塩野義三郎商店は、1910年に当地に工場を建設[2]。1961年には研究所に建て替えた。2011年には中央研究所を含む4施設の機能を豊中市の医薬研究センターに集約し、遊休施設となっていた[3]。貴重なモダニズム建築として日本建築学会から塩野義製薬に対して保存の要望が出されたが[1]、2014年に売却・解体され、跡地にはマンションが建設された[2]。
建築
[編集]設計は坂倉準三建築研究所大阪支所および同支所所長の西澤文隆。塩野義製薬は1950年代から1990年代にかけてオフィスや寮、倉庫などを坂倉準三および坂倉建築研究所に発注してきたが、その中でも最大のものである[1]。
南側に開いたコの字型の建物で、南側道路に面した外壁は青いタイルで仕上げられ、中庭に面してル・コルビュジエのモデュロールに基づいたブリーズソレイユ(遮光庇)が取り付けられている[4]。1階には事務室や会議室。エントランスホールは2階へ続く吹き抜けとなっており、上層階には実験室が配置されている。実験用什器や収納スペース、廊下の幅などはそこで働く人の動作を考慮し、緻密な計算のもとに設計されている[1]。
坂倉が師事したル・コルビュジエの影響を色濃く受けた、華美な装飾を排した機能的なモダニズム建築であり、2012年にはDOCOMOMO_JAPANより日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定された[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “旧塩野義製薬中央研究所本館の建物についての見解” (PDF). 日本建築学会近畿支部 (2014年10月21日). 2020年8月23日閲覧。
- ^ a b “大阪・鷺洲の塩野義製薬中央研究所跡地1.5haを取得/タイセイ開発で解体工事に着手/リバー産業”. 建設ニュース. (2015年1月19日) 2020年8月23日閲覧。
- ^ 『研究所新棟の完成に関するお知らせ』(pdf)(プレスリリース)塩野義製薬、2011年8月4日 。2020年8月23日閲覧。
- ^ “塩野義製薬中央研究所本館 見学会”. DOCOMOMO (2014年11月5日). 2020年8月23日閲覧。