堀川具孝
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時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 嘉暦2年(1327年) |
死没 | 不明[1] |
改名 | 具貫(初名)→具孝 |
官位 | 従三位・権中納言、左衛門督、検非違使別当 |
主君 | 後醍醐天皇→光厳天皇→後醍醐天皇→光明天皇→崇光天皇→後光厳天皇 |
氏族 | 村上源氏庶流堀川家 |
父母 | 父:堀川具親 |
兄弟 | 具雅、具孝、具信 |
堀川 具孝(ほりかわ ともたか)は、南北朝時代の公卿。内大臣・堀川具親の二男。初名は具貫。官位は従三位・権中納言、左衛門督、検非違使別当。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 元徳2年(1329年)1月5日、従五位下に叙せられる[2]。
- 正慶元年/元弘2年(1332年)8月17日、従五位上に昇叙。
- 元弘3年/正慶2年(1333年)12月20日、侍従に任ぜられる。
- 暦応2年/延元3年(1338年)1月13日、讃岐権介を兼ねる。同年12月30日、左少将に任ぜられ、同日正五位下に昇叙。
- 暦応3年/延元4年(1339年)11月30日、従四位下に昇叙。
- 康永元年/興国3年(1342年)12月21日、従四位上に昇叙。
- 康永2年/興国4年(1343年)5月11日、正四位下に昇叙。
- 康永3年/興国5年(1344年)1月14日、讃岐権介を止める。同年3月21日、左中将に転任。
- 康永3年/興国5年(1344年)7月29日、参議に任ぜられる。左中将は元の如し。同年9月23日、右兵衛督に移る。
- 貞和2年/正平元年(1346年)1月6日、従三位に叙せられる[3]。同年2月21日、播磨権守を兼ねる。
- 貞和5年/正平4年(1349年)、具孝に改名。同年8月13日、権中納言に転任。10月16日、左衛門督に転任し検非違使別当に補せられる。
- 貞和6年/正平5年(1350年)12月、検非違使別当を辞す。
- 文和2年/正平8年(1353年)8月6日、左衛門督を止められる。
- 文和3年/正平9年(1354年)7月21日、28歳で出家。