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堀切橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
堀切橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 東京都
交差物件 荒川
建設 1965年[1]
座標 北緯35度44分45秒 東経139度49分09秒 / 北緯35.74583度 東経139.81917度 / 35.74583; 139.81917座標: 北緯35度44分45秒 東経139度49分09秒 / 北緯35.74583度 東経139.81917度 / 35.74583; 139.81917
構造諸元
形式 桁橋
材料
全長 514.5 m[2]
17 m[2]
地図
堀切橋の位置(東京都区部内)
堀切橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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東京都道314号標識

堀切橋(ほりきりはし[3]、ほりきりばし)は、東京都足立区柳原葛飾区堀切の間の荒川(荒川放水路)と葛飾区の綾瀬川に架かる東京都道314号言問大谷田線である。

概要

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荒川の河口から10.5 km[4]の地点に架かる橋で、全長514.5メートル[2](荒川渡河区間454.5メートル[3][注釈 1])、総幅員17.7メートル[3]、有効幅員17.0メートル[5](車道13.0メートル、歩道2.0メートル×2)、最大支間長64メートルの9径間ゲルバー格子鋼鈑桁橋[3]の1等橋(TL-20[3])である。橋面は2パーセントの横断勾配が付けられている[3]。橋の西岸は足立区柳原一丁目、東岸は葛飾区堀切四丁目となっている。荒川と綾瀬川を隔てる長さ(盛土の幅)13.0メートル[3]背割堤で堀切橋のすぐ下流側の綾瀬川に架かる堀切小橋からの一方通行路が合流する。また、27メートル上流側[4]には京成本線荒川橋梁がやや低い位置で平行して架かっている。橋の管理者は東京都である[5]。また、災害時に防災拠点等に緊急輸送を行なうための、東京都の一般緊急輸送道路に指定されている[6]

諸元

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  • 種別 : 道路橋
  • 構造形式
    • 上部工 : 鋼ゲルバー格子桁
    • 下部工 : 鋼管杭基礎(直径500 mm、長さ30-40 m)[7]
  • 橋長 : 514.5 m(荒川 : 454.5 m、綾瀬川 : 60 m)
  • 幅員 : 17.0 m(車道13 m、歩道2 m × 2)[
  • 最大支間長 : 64.0 m
  • 支間割 : 41.9 m + 43.0 m + 46.0 m + (64.0 m + 64.0 m + 64.0 m) + 46.0 m + 43.0 m + 41.9 m
  • 着工 : 1960年(昭和35年)[8]
  • 完工 : 1965年(昭和40年)[9]

歴史

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1924年の橋

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かつては付近に堀切の渡船場があった[2]。橋は1924年(大正13年)10月通水を開始した荒川放水路[10]の掘削に先駆けて1924年(大正13年)3月31日に開通した初代の橋は橋長439メートル、幅員5.5メートルのRC(鉄筋コンクリート)製の橋脚を持つ木橋桁橋として開通した[11]。この堀切橋は一度は完成したが、その直後に1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で被災したため架け直されたものである[10]。 この橋は現在より250メートルほど南にあり、東武伊勢崎線の堀切駅と旧綾瀬川の墨田水門の中間に右岸側の橋詰があり、旧東京都道468号堀切橋金町浄水場線(堀切小橋通)の延長線上に位置していた[12]。また、綾瀬川上には1921年(大正10年)12月22日開通した[13]長さ54.6メートル[14]の堀切小橋が堀切橋と同様の形式で架けられていた[13]

1942年の橋

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橋は第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)2月に二代目の橋が木橋として架け替えられた[15]。橋長493.6メートル、幅員5.4メートル[15]。この橋は架け替えられた翌年の1943年(昭和18年)に焼失して[15]工兵隊が簡易な橋に架け替えられた後[16]1950年(昭和25年)12月[14]に幅員7.6メートルに橋の拡幅が行なわれ、幅1.1メートルの歩道が両側に設けられた[15]。橋脚は木製で路面は乳剤舗装が施されていた[14]1958年(昭和33年)橋は一部流失したが当年中に復旧した[15]1959年(昭和34年)9月9日の交通状況の調査によると、橋長の関係で自転車の利用が最も多く、その台数は7354台を数え、他は徒歩が1300人、荷車牛馬車が45台、原付・自動二輪車が4035台、乗用車が1316台、乗合バス191台、貨物自動車が5005台、特殊自動車が97台であった[17]。その後重量制限が実施され、バスなどの大型車は他の橋へ迂回する措置が取られた[17]

堀切橋、2019年

1965年の橋

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永久橋の設計は1940年(昭和15年)頃から既に着手され、橋種は90メートル上流側に荒川橋梁が架けられていることもあって、取り付け道路が長くなるが、通行者の視界を狭めることのない上路式が採用されている[18]。また、架橋地点は軟弱地盤で周辺で地盤沈下が観測されていたため上部工は沈下に強いとされるゲルバー式鋼鈑桁橋を採用し[18]、下部工も1940年当初の設計段階では同様の理由で工費を要するが井筒基礎を採用し、低水路の径間割は上流にある荒川橋梁に一致させていて7径間で64メートルの等間隔であった[18]が、実際に採用されたのは鋼管杭基礎[7] 径間割も変更されている[3]。また、架橋位置も荒川橋梁のすぐ下流側に変更されている。

三代目である「新堀切橋」と称した現在の永久橋は1960年(昭和35年)に着工されて[8]1965年(昭和40年)に完工され[9]、同年6月開通した[1][注釈 2]。橋長は514.5メートル、幅員17メートルで綾瀬川部分の長さは60メートルである[3][2]。 上部工の施工は主径間を三菱重工業(現、エム・エムブリッジ)、側径間を宮地鉄工所(現、宮地エンジニアリング)が担当し、ケーブルクレーンによるステージング(ベント)工法により架設が行なわれた[3]。 なお、開通当時取り付け道路は周囲は民家が密集する地域で、用地の買収絡みからまだ未完成だった[1][19]。また、荒川部分のみの仮開通で[20]、綾瀬川部分はまだ未完成だったため[19]、その間は堀切小橋がその役目を担った。左岸側の道路用地に掛かる鉄工場の移転が遅れたため、取り付け道路が完成したのは1967年(昭和42年)8月のことだった[1]。現在はこの新堀切橋を堀切橋と呼ぶ。旧橋は撤去され、旧橋とほぼ同じ場所に首都高速6号向島線新荒川橋が架けられている[21] 。なお、堀切小橋は1976年(昭和51年)3月[13]に旧堀切小橋のやや上流側の位置に架け替えられている。

周辺

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橋のある場所は東京都および国土交通省が水質測定計画に基づく水質測定を行う地点のひとつに加えられている[22]

隣の橋

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(上流) - 東武伊勢崎線荒川橋梁 - 京成本線荒川橋梁 - 堀切橋 - 新荒川橋 - 四ツ木橋 - (下流)
(上流) - 中の橋 - 京成本線綾瀬川橋梁 - 堀切橋 - 堀切小橋 - 首都高速6号向島線 - (下流)

脚注

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注釈

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  1. ^ 『鐵骨橋梁年鑑』65頁の一般図では454.6メートルと記されているが、各支間長を加算すると454.5メートルになることから誤りと思われる。
  2. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』641頁や『土木施工』26頁では1967年(昭和42年)完工と記されているが、これは取り付け道路を含めた完工と思われる。なお、日本橋梁建設協会 橋梁年鑑データベースでは1965年(昭和40年)完工と記されている。

出典

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  1. ^ a b c d “ドライバーもやっと安心 荒川の平井大橋 取付道路が来月完成”. 朝日新聞 東京 朝刊 (朝日新聞社): p. 16. (1967年3月8日) 
  2. ^ a b c d e 『角川日本地名大辞典 13 東京都』641頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 鐵骨橋梁年鑑』64-65頁。
  4. ^ a b 荒川下流河川維持管理計画【国土交通大臣管理区間編】” (PDF). 国土交通省関東地方整備局 荒川下流河川事務所. p. 73(巻末-7) (2012年3月). 2017年2月21日閲覧。
  5. ^ a b 企画展「荒川の橋」荒川・隅田川の橋(amoaノート第8号)” (PDF). 荒川下流河川事務所(荒川知水資料館). 2005年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月21日閲覧。
  6. ^ 特定緊急輸送道路図”. 東京都耐震ポータルサイト (2013年). 2017年3月7日閲覧。
  7. ^ a b 三上澄 (1966, p. 27)
  8. ^ a b 三上澄 (1966, p. 26)
  9. ^ a b 橋梁年鑑 堀切橋 詳細データ - 日本橋梁建設協会、2017年3月1日閲覧。
  10. ^ a b 荒川放水物語”. 国土交通省 水管理・国土保全. 2017年3月3日閲覧。
  11. ^ 堀切橋1924-3-31 - 土木学会附属土木図書館、2017年2月17日閲覧。
  12. ^ B4-C4-67(1936/06/11) 1936年6月11日撮影の堀切橋周辺 - 国土地理院(地図・空中写真閲覧サービス)、2017年2月21日閲覧。
  13. ^ a b c 堀切小橋1921-12-22 - 土木学会付属土木図書館、2017年3月1日閲覧。
  14. ^ a b c 竹ケ原輔之夫 & 安田伊三郎 (1960, p. 67)
  15. ^ a b c d e 堀切橋1942-2 - 土木学会附属土木図書館、2017年2月17日閲覧。
  16. ^ 旧堀切橋 - 足立朝日 .(2006年12月20日)、2017年3月3日閲覧。
  17. ^ a b 竹ケ原輔之夫 & 安田伊三郎 (1960, p. 68)
  18. ^ a b c 左合正雄 (1940, pp. 32–33)
  19. ^ a b MKT666X(1966/11/03) 1966年11月3日撮影の堀切橋周辺 - 国土地理院(地図・空中写真閲覧サービス)、2017年2月21日閲覧。
  20. ^ 三上澄 (1966, p. 34)
  21. ^ CKT7415(1975/01/31) 1975年1月31日撮影の堀切橋周辺 - 国土地理院(地図・空中写真閲覧サービス)、2018年1月24日閲覧。
  22. ^ 平成25年度 公共用水域水質測定結果”. 東京都環境局 (2018年2月9日). 2020年2月1日閲覧。
  23. ^ 施設案内 堀切水辺公園 - 葛飾区 .(2015年12月16日)、2017年2月17日閲覧。

参考文献

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  • 鐵骨橋梁年鑑 昭和41年度版(1966)”. 日本橋梁建設協会. pp. 64-65 (1966年12月15日). 2017年3月27日閲覧。
  • 竹ケ原輔之夫、安田伊三郎「荒川新荒川長大橋梁整備計画について」『道路建設』第156巻、日本道路建設業協会、1960年12月、67-70頁、ISSN 0287-2595 
  • 左合正雄「堀切橋設計中間報告」『道路(通巻13号)』第2巻第5号、日本道路協会、1940年5月1日、32-33頁、ISSN 0012-5571 
  • 南保賀「東京府の橋梁計畫に就て」『道路(通巻19号)』第2巻第11号、日本道路協会、1940年11月1日、55-56頁、ISSN 0012-5571 
  • 三上澄「荒川における長大橋の整備」『土木施工』第7巻第2号、株式会社オフィス・スペース、1966年2月、25-34頁、ISSN 0387-0790 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 13 東京都』角川書店、1978年10月27日、641頁。ISBN 4040011309 

外部リンク

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関連項目

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