坂本村 (愛媛県)
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さかもとむら 坂本村 | |
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廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
新設合併 坂本村・荏原村 → 久谷村 |
現在の自治体 | 松山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 温泉郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,923人 (1955年) |
隣接自治体 | 荏原村・重信町・久万町・父二峰村・砥部町(廃止時) |
坂本村役場 | |
所在地 | 愛媛県温泉郡坂本村大字久谷 |
座標 | 北緯33度44分51秒 東経132度49分33秒 / 北緯33.74761度 東経132.82589度座標: 北緯33度44分51秒 東経132度49分33秒 / 北緯33.74761度 東経132.82589度 |
ウィキプロジェクト |
坂本村(さかもとむら)は、1956年(昭和31年)まで愛媛県の温泉郡にあった村であり、現在の松山市の最南部、三坂峠の麓に位置する。
地理
[編集]現在の松山市の最南部。重信川の支流の一つである御坂川、及び同川支流の久谷川が北流し、その流域。河川に沿って狭小な平地があるほかは山地である。南端には黒森山がそびえ、上浮穴郡との境となっている。
- 地名の由来
- 土佐街道の難所、三坂峠の麓にあたるため「坂下」と呼んだのが、次第に「坂本」と呼ばれるようになったものといわれる。
歴史
[編集]古代
- 荏原郷に属した。村内に戦国期の勝山城跡と葛懸(葛掛とも書く)城跡がある。
藩政期
明治以降
- 1889年(明治22年)12月15日 - 成立。当時は下浮穴郡に属した。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 温泉郡に所属。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 荏原村との合併により久谷村となる。
坂本村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) 窪野 ━━┓ 久谷 ━━╋━━━━━ 坂本村 ━━━┓ 浄瑠璃寺━━┛ ┃(昭和31年9月30日合併) ┣━━ 久谷村 ━━┓ ┃ ┃ 荏原村 ━━━┛ 昭和43年10月25日松山市に編入 (注記)荏原村成立以前の系譜については、同村の記事を参照のこと。
地域
[編集]窪野(くぼの)、久谷(くたに)、浄瑠璃寺(じょうるりじ)の3つの大字があった。いずれも明治の村制発足前からの旧村であり、久谷村になっても大字として存続した。
役場は大字久谷においた。
行政
[編集]- 役場
- 大字久谷においた。
教育
[編集]- 坂本村立坂本小学校(閉村時)
- 坂本村立坂本中学校(閉村時)
交通
[編集]旧土佐街道沿線、浄瑠璃寺があり、遍路道にもあたり、遍路宿が残されている。
名所・旧跡
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 久谷村史編纂委員会 『久谷村史』 1967年