坂本村 (岐阜県池田郡)
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さかもとむら 坂本村 | |
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廃止日 | 1897年4月1日 |
廃止理由 |
合併 広瀬村、坂本村、川上村 → 坂内村 |
現在の自治体 | 揖斐川町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 池田郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,412人 (揖斐郡志[1]、1897年) |
隣接自治体 |
岐阜県 池田郡広瀬村、鶴見村、日坂村、春日村 滋賀県 坂田郡伊吹村 |
坂本村役場 | |
所在地 | 岐阜県池田郡坂本村 |
ウィキプロジェクト |
坂本村(さかもとむら)は、かつて岐阜県池田郡にあった村である。現在の揖斐郡揖斐川町坂内坂本に該当する。
概要
[編集]村名は、この地が鐵嶺峠(鉄嶺峠)の麓にあったことによる。人家は白川(坂内川の支流)の両岸に存在し、東区・西区に分かれる。本村の南方に白川の集落があり、その南方に諸家の集落があり上下に分かれる[2]。
1645年(正保2年)の『正保郷帳』では石高は198石8斗1升5合[1]。『旧高旧領取調帳』も1868年(明治元年)時点の石高は198石8斗1升5合とする[3]。1873年(明治6年)の調高では385石8斗9升4合、段別田46町6段3畝28歩(約46.2ha)・畑5町7段9畝29歩(約5.7ha)・屋敷4町4段2畝4歩(約4.4ha)、外に試起田9町4段7畝15歩(約9.4ha)・田畑8段4歩(約0.8ha)があった[1]。
1897年(明治30年)4月1日の揖斐郡設置時に、広瀬村、川上村と廃置分合(合併)して揖斐郡坂内村の一部となり[4]、同村の大字となる。
歴史
[編集]- 江戸時代 - 大垣藩領で石高は198石8斗1升5合[5]。
- 1871年8月29日(明治4年7月14日) - 廃藩置県により、大垣県に所属する。
- 1872年1月2日(明治4年11月22日) - 第1次府県統合に伴い、岐阜県に所属する。
- 1872年(明治5年)9月 - 大区小区制により美濃国を175区に分割。坂本村は75区に属する[6]。
- 1873年(明治6年)4月 - 岐阜県内管内区画を改正して12大区175小区に分割。旧75区は第6大区6小区に属する[6]。
- 1879年(明治12年)2月18日 - 郡区町村編制法(明治11年7月22日太政官布告第17号)施行に伴い大区小区制を廃止し、当村は大野池田郡役所(郡役所・大野郡三輪村)の管掌下となる[7]。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制(明治44年4月7日法律第69号)施行により、自治体としての坂本村が発足[8]。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 池田郡広瀬村、坂本村及び、川上村が合併して坂内村が発足。同日、坂本村廃止[4]。同日、池田郡が大野郡の一部と合併して揖斐郡となる[9][10]。
教育
[編集]- 椎馨義校(後の揖斐川町立坂内小中学校。2022年(令和4年)3月31日廃校)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 梶原猪之松 編『岐阜県令達全書. 明治元年−20年』啓文社、1897年6月20日。doi:10.11501/788374 。
- 梶原猪之松 編『岐阜県令達全書. 明治21年−28年』啓文社、1897年6月20日、891頁。doi:10.11501/788377 。
- 『岐阜県令達全書. 明治30年』岐阜県知事官房、1898年10月18日、167-178頁。doi:10.11501/788378 。
- 岐阜県揖斐郡教育会 編『揖斐郡志』揖斐郡教育会、1924年12月31日。doi:10.11501/1019725。
- 『岐阜県町村合併史』岐阜県総務部地方課、1961年11月1日。doi:10.11501/3022328。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年9月1日。doi:10.11501/12190664。ISBN 4-04-001210-0。
- 地名情報資料室 編『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年9月20日。doi:10.11501/12760487。ISBN 4-490-10280-1。
- 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室、60頁