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坂下村 (岐阜県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
さかしもむら
坂下村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 合併
坂上村坂下村宮川村
現在の自治体 飛騨市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
吉城郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 106.21 km2.
総人口 1,473
(1956年)
坂下村役場
所在地 岐阜県吉城郡坂下村桑野字宮ノ下65-1
座標 北緯36度24分02秒 東経137度10分57秒 / 北緯36.40053度 東経137.18247度 / 36.40053; 137.18247 (坂下村)座標: 北緯36度24分02秒 東経137度10分57秒 / 北緯36.40053度 東経137.18247度 / 36.40053; 137.18247 (坂下村)
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坂下村(さかしもむら)は、岐阜県吉城郡にあったである。

1956年に合併で宮川村の一部となり、現在は飛騨市の一部である。

旧・宮川村の北部(宮川下流側)に該当し、北は富山県に接する。

歴史

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  • 江戸時代末期、この地域は飛騨国吉城郡であり、天領であった。
  • 1871年明治4年) - 廃藩置県により、飛騨国一円は筑摩県となる。
  • 1874年(明治7年) - 桑ケ谷村と小野村が合併し、桑野村となる。
  • 1875年(明治8年) - 打保村、杉原村、戸谷村、桑野村、小豆澤村、加賀澤村、鮎飛村、巣納谷村、祢冝ヶ澤上村、中澤上村、塩屋村、山之山村、洞村が合併し発足となる。
  • 1876年(明治9年)8月20日 - 筑摩県が分割され、旧・飛騨国一円は岐阜県と合併する。
  • 1889年明治22年)7月1日 - 町村制により坂下村が村制施行。
  • 1918年(大正7年)2月14日 - この日主要新聞で一斉に、「1月25日 - 26日に大正7年豪雪にともなって坂下村万波集落が孤立し約300人が餓死」との旨の報道がなされるが、誤報と判明する。富山県のある集落で雪崩と火災により9人が死亡した事実が流言化するうちに変化して伝わり、各紙の記者がそれを真に受けて記事にしたものであった[1]。後世の年表などの出版資料で、事実として掲載されたままになっている例がある[2][3]
  • 1956年昭和31年)9月30日 - 坂上村と合併し宮川村が発足。同日坂下村廃止。

教育

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交通機関

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神社・仏閣

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  • 塩竈金清神社
  • 玄昌寺
  • 久昌寺
  • 光明寺
  • 長久寺

観光

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  • 池ヶ原湿原

脚注

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  1. ^ 小池新. “300人死亡の大虚報「豪雪餓死」事件#2 「落雪で村全滅、村民300名ことごとく餓死」大雪で発生した“虚報”はなぜ起こってしまったのか”. 文春オンライン. 2022年9月30日閲覧。
  2. ^ 岩波書店編集部(編)『近代日本総合年表 第一版』(岩波書店 1968年)p.234 NDLJP:3449154/130
  3. ^ 下川耿史『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』(河出書房新社 2003年)p.325 全国書誌番号:20522067

関連項目

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