坂下村 (岐阜県)
表示
さかしもむら 坂下村 | |
---|---|
廃止日 | 1956年9月30日 |
廃止理由 |
合併 坂上村、坂下村 → 宮川村 |
現在の自治体 | 飛騨市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 吉城郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 106.21 km2. |
総人口 |
1,473人 (1956年) |
坂下村役場 | |
所在地 | 岐阜県吉城郡坂下村桑野字宮ノ下65-1 |
座標 | 北緯36度24分02秒 東経137度10分57秒 / 北緯36.40053度 東経137.18247度座標: 北緯36度24分02秒 東経137度10分57秒 / 北緯36.40053度 東経137.18247度 |
ウィキプロジェクト |
1956年に合併で宮川村の一部となり、現在は飛騨市の一部である。
旧・宮川村の北部(宮川下流側)に該当し、北は富山県に接する。
歴史
[編集]- 江戸時代末期、この地域は飛騨国吉城郡であり、天領であった。
- 1871年(明治4年) - 廃藩置県により、飛騨国一円は筑摩県となる。
- 1874年(明治7年) - 桑ケ谷村と小野村が合併し、桑野村となる。
- 1875年(明治8年) - 打保村、杉原村、戸谷村、桑野村、小豆澤村、加賀澤村、鮎飛村、巣納谷村、祢冝ヶ澤上村、中澤上村、塩屋村、山之山村、洞村が合併し発足となる。
- 1876年(明治9年)8月20日 - 筑摩県が分割され、旧・飛騨国一円は岐阜県と合併する。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により坂下村が村制施行。
- 1918年(大正7年)2月14日 - この日主要新聞で一斉に、「1月25日 - 26日に大正7年豪雪にともなって坂下村万波集落が孤立し約300人が餓死」との旨の報道がなされるが、誤報と判明する。富山県のある集落で雪崩と火災により9人が死亡した事実が流言化するうちに変化して伝わり、各紙の記者がそれを真に受けて記事にしたものであった[1]。後世の年表などの出版資料で、事実として掲載されたままになっている例がある[2][3]。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 坂上村と合併し宮川村が発足。同日坂下村廃止。
教育
[編集]交通機関
[編集]神社・仏閣
[編集]- 塩竈金清神社
- 玄昌寺
- 久昌寺
- 光明寺
- 長久寺
観光
[編集]- 池ヶ原湿原