土方雄次
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長16年(1611年) |
死没 | 延宝8年1月28日(1680年2月28日) |
改名 | 彦三郎(幼名)、雄次 |
戒名 | 清光院殿江月浄澄大居士 |
墓所 | 大阪府貝塚市森の青松寺 |
官位 | 従五位下河内守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
藩 | 陸奥窪田藩主 |
氏族 | 土方氏 |
父母 | 土方雄重、内藤政長娘 |
兄弟 | 雄次、那須資重正室、九鬼隆季正室 |
妻 | 内藤忠興娘 |
子 |
雄信、雄隆、雄賀、林貞辰、鵜飼兼治、 六郷政信継室、伊藤某室 |
土方 雄次(ひじかた かつつぐ)は、江戸時代前期の大名。陸奥国窪田藩2代藩主。官位は従五位下・河内守。
生涯
[編集]初代藩主・土方雄重の長男。
元和7年(1621年)に徳川秀忠に御目見し、寛永5年(1628年)の父の死去により跡を継いだ。新田開発や酒井用水・五箇村灌漑用水の造営、寺社造営や修築などを成した。
延宝7年(1679年)11月27日、病気を理由に次男・雄隆に家督を譲って隠居し、翌年1月28日に死去した。享年70。