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土師百村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

土師 百村 (はじ の ももむら、生没年不詳)は、奈良時代官人歌人宿禰官位正七位上大宰少監

経歴

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養老5年(721年元正天皇により佐為王紀男人日下部老山田三方山上憶良紀清人越智広江山口田主楽浪河内塩屋吉麻呂刀利宣令らとともに、退朝後に教育係として皇太子首皇子(のちの聖武天皇)に侍することを命じられている(この時の位階は正七位上[1]

天平2年(730年1月13日に「帥老」(そちのおきな)」の邸宅に集まって宴会を開いた際、列席した全員が庭の梅を題材にして短歌を詠み、土氏百村(はにし の ももむら)として詠んだ和歌が『万葉集』に1首掲載されている。なお、この時の百村の官職大宰少監で、既に聖武天皇は即位しており、教育係としての役目も終了していたと想定される。

梅の花 咲きたる園の 青柳を 縵にしつつ 遊び暮らさな (梅の花の 咲いている園の 青柳を みんなかずらにしながら 遊び暮らそうよ)[2]

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』養老5年正月23日条
  2. ^ 『万葉集』巻第5,825番

参考文献

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関連項目

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