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土師水通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

土師 水通(はじ の みみち)は、奈良時代官人歌人。名は水道[1]御道[2]とも記される。字は志婢麻呂(しびまろ)。宿禰官職大舎人

経歴

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史書には登場しない人物だが、『万葉集』にいくつかの歌を残している。

一つは、水通が大舎人であった時に、同僚の巨勢豊人と、巨勢斐太島村の息子の顔が色黒なのをあざ笑った歌で、

ぬばたまの 斐太(ひだ)の大黒(おほぐろ) 見るごとに 巨勢(こせ)の小(を)黒し 思ほゆるかも ([ぬばたまの] 巨勢斐太の大黒を 見るたびに 巨勢豊人の小黒が思い出される)[3]

というもの。

同じ『万葉集』によると、天平2年1月13日730年2月4日)に大伴旅人の邸宅での梅花の宴で、列席した全員が庭の梅を題材にして短歌を詠んでいるが、その中の1首

梅の花 折りかざしつつ 諸人(もろひと)の 遊ぶを見れば 都しぞ思ふ (梅の花を 折ってめいめいに髪にさし 人々の 遊ぶのを見ると 都のことを思い出す)[2]

を詠んだとされている。

ほかにも、「土師宿禰水通、筑紫より京(みやこ)に上るに、海路(うみつぢ)にして作る歌」として2首を詠んでおり[4]、その中からは都に残した妻への愛情が窺われる[5]

脚注

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  1. ^ 『万葉集』巻第四557番・558番題詞
  2. ^ a b 『万葉集』巻第五843番
  3. ^ 『万葉集』巻第十六3844番
  4. ^ 『万葉集』巻第四557番・558番
  5. ^ 小学館『萬葉集二 完訳日本の古典3』55頁脚注

参考文献

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関連項目

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