土屋篤直
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保17年6月20日(1732年8月10日) |
死没 | 安永5年5月20日(1776年7月5日) |
別名 | 左門(通称) |
戒名 | 厳性遵義本覚院 |
墓所 | 茨城県土浦市大岩田の法泉寺 |
官位 | 従五位下、能登守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 常陸国土浦藩主 |
氏族 | 土屋氏 |
父母 | 父:土屋陳直、母:佐藤長右衛門の娘 |
兄弟 | 久米五郎、篤直、以直 |
妻 |
正室:奥平昌成の娘 側室:豊田定愛の妹 側室:和田源左衛門の娘・勢野子 |
子 |
寿直、泰直、英直、八百子(松平忠宝正室)、 娘(阿部正精正室 |
人物
[編集]享保17年(1732年)6月20日、第3代藩主土屋陳直の次男として生まれる。享保19年(1734年)、父の死去により家督を継いだ。しかし幼少のため、土屋亮直の輔佐を受けた。
元文3年(1738年)に20か条の触れを出して、年貢の完納化を義務付けた。また、株仲間の公認化や消防制度の強化を行なっている。延享4年(1747年)12月19日、従五位下・能登守に叙任される。宝暦8年(1758年)6月14日、大手御門番に任じられる。宝暦10年1月28日、奏者番に任じられる。明和2年(1765年)7月25日、内桜田御門番に任じられ、明和5年7月1日に桜田方火の番に任じられる。明和6年10月1日に寺社奉行に任じられる。しかし病弱だったといわれ、藩政は亮直ら家臣によって行なわれていたといわれる。
安永5年(1776年)5月20日に死去した。享年45。跡を長男の寿直が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 奥平昌成の娘
側室
子女