土屋正典
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明2年(1782年) |
死没 | 天保6年(1835年) |
別名 | 榮之助 |
氏族 | 土屋氏 |
父母 | 父:土屋正備、母:菅沼定庸娘 |
子 | 土屋太刀三郎 |
土屋 正典(つちや まさのり)は、江戸時代後期の旗本。土屋家の第9代当主。
生涯
[編集]土屋正備の長男。文政10年(1827年)11月26日、正備の死後、46歳で相続するが有能ではなく、役職にも恵まれなかった。
役給の停止に加え正方、正延、正備と続いた家計の膨張を収拾する能力にも欠け、用人任せの家政は破綻を暴露した。累積した貸付金、市中借など借財と利息の返済に苦しみ、また知行所への先納金賦課、家計の月割賄など、多くの旗本がたどったと同様の苦難の道を歩むようになる。
知行所
[編集]- 相模国愛甲郡猿ヶ島村200石(現神奈川県厚木市)
- 下総国葛飾郡栗ヶ沢村104石(現千葉県松戸市)
- 下総国葛飾郡大谷口村236石(現千葉県松戸市)
- 下総国千葉郡中野村86石(現千葉県千葉市)
- 武蔵国横見郡地頭方村107石(現静岡県牧之原市)
- 常陸国鹿島郡武井村200石(現茨城県結城市)
- 武蔵国横見郡山野下村123石(現埼玉県比企郡吉見町)
参考文献
[編集]- 松戸市史 史料編(一)〔大熊家文書〕
- 『寛政重修諸家譜』巻第五百五十一
- 松戸の江戸時代を知る②城跡の村の江戸時代-大谷口村大熊家文書から読み解く-
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