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四無量心

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
四梵住から転送)
仏教用語
四無量心
パーリ語 appamaññā
サンスクリット語 अप्रमाण्य
(apramāṇya)
チベット語 ཚད་མེད་བཞི་
(tshad med bzhi)
中国語 四無量心, 四梵行
日本語 四無量心, 四梵行
朝鮮語 사무량심
英語 four divine abodes
クメール語 ព្រហ្មវិហារធម៌
(Prummavihearathor)
タイ語 พรหมวิหาร 4
ベトナム語 Tứ Vô Lượng Tâm
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四無量心(しむりょうしん、: apramāṇya, : appamaññā, : tshad med bzhi)とは、(サマタ)の対象である四十業処の一部[1]。他の生命に対する自他怨親なく平等で、過度の心配などのない、落ち着いた気持ちを持つことをいう。 四梵住(しぼんじゅう、: brahmavihāra)、四梵行(しぼんぎょう)ともいう。

  • 慈無量心: maitrī, : mettā, : byams pa) - 「慈しみ」、相手のを望む心[2]
  • 悲無量心: karuṇā, : snying rje) - 「憐れみ」、を抜いてあげたいと思う心[2]
  • 喜無量心: muditā, : dga' ba) - 「喜び」、相手の幸福を共に喜ぶ心。
  • 捨無量心: upekṣā: upekkhā, : btang snyoms) - 「平静」、相手に対する平静で落ち着いた心。動揺しない落ち着いた心を指す。なお上座部教学の集成者であるブッダゴーサは、『清浄道論』(Visuddhi-Magga)において、単なる無関心を「無智捨」と呼び、捨無量心とは似て非なるものとしている。[3]

四無量心を行うことによりを消滅せることができ、梵天界に住することができると釈迦は説いている[4]

語源

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『分別論註』によれば、無量(appamaññā)というのは、「対象となる衆生が無数であること」あるいは「対象とする個々の有情について(慈悲の心で)余すことなく完全に満たす」という遍満無量(pharaṇa-appamāṇa)の観点から、このように称する。[5]

仏典の記載

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三明経において釈迦は、「梵天界へ至る道」のひとつとして四無量心を説いている[6]

So mettāsahagatena cetasā ekaṃ disaṃ eritvā viharati tathā dutiyaṃ tathā tatiyaṃ tathā catutthiṃ.
Iti uddhamadho tiriyaṃ sabbadhi sabbattatāya1 sabbāvantaṃ lokaṃ mettāsahagatena cetasā vipulena mahaggatena appamāṇena averena avyāpajjhena pharitvā viharati.
Seyyathāpi vāseṭṭha balavā saṅkhadhamo appakasireneva cātuddisaṃ sarena viññāpeyya,
evameva kho vāseṭṭha evaṃ bhāvitāya mettāya cetovimuttiyā yaṃ pamāṇakataṃ kammaṃ na taṃ tatrāvasissati, na taṃ tatrāvatiṭṭhati. Ayampi kho vāseṭṭha brahmuno2 sahavyatāya maggo.

彼は、慈を伴った心によって一つの方角を満たして過ごす。そのように、第二(=悲)を。そのように、第三(=喜)を。 そのように、第四(=捨)を。
このように、上に下に、四方に、一切のに、あらゆる世間を、広大で大きな、無量の、怨なき瞋なき慈をともなう心によって、満たして住ごす。
ヴァーセッタよ、これは力ある法螺貝ふきが、少ない努力で四方へ(音を)知らせられるようなものである。
ヴァーセッタよ、以上のように慈(悲/喜/捨)なる解脱(ceto vimuttiyā)が修習されたとき、有量の業(pamāṇakata kamma)は残存せず、そこに留まらない。
ヴァーセッタよ、これこそが、梵天と住する道である。

大ラーフラ教誡経においては、釈迦は沙弥ラーフラに対して四無量心を説いている。

脚注

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  1. ^ ウ・ウェープッラ、戸田忠=訳註『アビダンマッタサンガハ [新装版]』、中山書房仏書林、p.274
  2. ^ a b 魚川祐司『仏教思想のゼロポイント』新潮社、2015年5月、165-167頁。ISBN 978-4103391715 
  3. ^ 「無智捨は捨梵住の近敵なり、…過失と功徳とを伺察せざるにことにおいて捨梵住と同類なるが故に。」清浄道論 第九品 南伝大蔵経六十三巻
  4. ^ 福田琢「大善見王経』 再考――他界・梵天・四無量心―」『印度學佛教學研究』第70巻第2号、2022年、1006-999頁、doi:10.4259/ibk.70.2_1006 
  5. ^ 「無量(appamaññā)とは遍満無量(pharaṇa-appamāṇa)により無量である。これらは所縁に関して無量の有情に遍満するから、または一人の有情について残すところなく遍満するから(…)」( 浪花宣明『分別論註 VibhaṅgaṭṭhakathāとVibhaṅgamūlaṭīkā』、平楽寺書店、p.642)
  6. ^ 清水俊史『ブッダという男 ――初期仏典を読みとく』筑摩書房、2023年、146頁。ISBN 978-4480075949 

関連項目

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