四方田時綱
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時代 | 鎌倉時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 文永9年〈1272年) |
別名 | 通称:滝口左衛門尉 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 北条政村→時頼 |
氏族 | 四方田氏 |
父母 | 父:四方田景綱 |
子 | 重綱 |
四方田 時綱(しほうでん ときつな)は、鎌倉時代中期の武士。北条氏得宗家被官である御内人。
最初、北条政村に仕えていたが、後に北条時頼へ出仕する。文永9年(1272年)2月、二月騒動が発生した際、時綱は大蔵次郎左衛門尉、薩摩左衛門三郎、渋谷新左衛門尉、石河神次左衛門尉と共に、名越流北条氏の北条時章、北条教時を謀反のかどで殺害した。しかし、後に時章が無実であったことが発覚すると、北条時宗の命で他の4名と共に斬首刑に処された。
後に時綱の子・重綱が父を弔うため大方広仏華厳経を称名寺へ奉納した。なお、これは現存している。
参考文献
[編集]- 末木より子『四方田時綱』(新人物往来社「北条氏系譜人名辞典」 94-95頁)