喜多村久敬
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保20年(1735年) |
死没 | 明和8年(1771年) |
別名 | 監物、長命、与七郎 |
墓所 | 青森県弘前市の貞昌寺 |
主君 | 津軽信寧 |
藩 | 陸奥弘前藩 |
氏族 | 喜多村氏 |
父母 | 喜多村久通 |
子 | 親守、鉄之助 |
喜多村 久敬(きたむら ひさたか)は、江戸時代中期の弘前藩士。
生涯
[編集]宝暦2年(1752年)に手廻組頭、用人兼帯、馬廻組頭となり、宝暦11年(1761年)に家老となった。明和7年(1770年)、家老を退任した。理由は病気であるという。
翌明和8年(1771年)、病死した。嫡男の親守が家督を継ぎ、家督800石のうち100石を次男の鉄之助が継いだ。
参考文献
[編集]- 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社