岩倉ダム
岩倉ダム | |
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所在地 | 左岸: 長野県下伊那郡売木村 |
位置 | 北緯35度17分02秒 東経137度42分31秒 / 北緯35.28389度 東経137.70861度 |
河川 | 天竜川水系岩倉川 |
ダム湖 | 岩倉貯水池 |
ダム諸元 | |
ダム型式 | 重力式コンクリートダム |
堤高 | 25.0 m |
堤頂長 | 100.6 m |
堤体積 | 19,000 m3 |
流域面積 | 8.8 km2 |
湛水面積 | 6.0 ha |
総貯水容量 | 435,000 m3 |
有効貯水容量 | 408,000 m3 |
利用目的 | 発電 |
事業主体 | 中部電力 |
電気事業者 | 中部電力 |
発電所名 (認可出力) |
豊発電所 (14,500kW) |
施工業者 | 清水組 |
着手年 / 竣工年 | 1936年 / 1938年 |
岩倉ダム(いわくらダム[1])は、長野県下伊那郡売木村、天竜川水系岩倉川に建設されたダム。高さ25メートルの重力式コンクリートダムで、中部電力の発電用ダムである。同社の水力発電所・豊(ゆたか)発電所に送水し、最大1万4,500キロワットの電力を発生する。
歴史
[編集]木曽川の電源開発で功績を上げる福澤桃介は、矢作川水系や天竜川水系にも開発の手を伸ばす。彼によって設立された矢作水力は、天竜川水系和合川および売木川の水を利用した水力発電所・豊発電所の建設を計画。1935年(昭和10年)10月22日に着工、1936年(昭和11年)12月26日に完成した。
豊発電所上流の岩倉川においては、岩倉ダムの建設工事が進められた。水不足への備えとしての発電用ダムである。貯えた水を必要に応じてダム直下に放流し、下流に位置する丸畑堰堤まで河川を流下させ、以降は専用の水路を通じて豊発電所まで導かれる。
岩倉ダムの建設工事は1936年に着工。建設工事にはのべ1000人もの人員を動員し、昼夜交代勤務で作業を続行。朝鮮人労働者も多く含まれていた。当時は各家庭に電気が十分行き渡っていない時代であったが、工事現場は夜も電灯で明るく照らされていたという。正確な着・竣工時期がはっきりしていないが、遅くとも工事終業式を催した1938年(昭和13年)3月までには竣工したとされている。
豊発電所を完成させた矢作水力であったが、日本発送電の発足に伴い解散。その日本発送電も戦後になって解体され、岩倉ダムほか豊発電所の設備は中部電力に引き継がれた。同社は発電所の自動化を進め、まず丸畑堰堤を1963年(昭和38年)3月に無人化。1973年(昭和48年)には豊発電所を無人化し、平岡制御所からの遠隔操作に移行した。岩倉ダムも1983年(昭和58年)に無人化された。2000年(平成12年)には岩倉ダムのクレストゲート(水門)を撤去し、ゲートレスダムとなった。
2006年(平成18年)3月、中部電力は豊発電所の改修工事を終えた。従来は2台の横軸2射ペルトン水車発電機が設置されていたが、これを撤去し、1台の立軸6射ペルトン水車発電機へと更新。これによって最大出力は1万4,500キロワットに増強された。放水路には騒音対策としてゴム幕が設置され、発電時に発生する騒音を最大10分の1にまで減衰させることに成功している。
周辺
[編集]和知野ダム | |
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所在地 | 左岸: 長野県下伊那郡阿南町 |
位置 | 北緯35度17分55秒 東経137度47分22秒 / 北緯35.29861度 東経137.78944度 |
河川 | 天竜川水系和知野川 |
ダム湖 | - |
ダム諸元 | |
ダム型式 |
重力式 コンクリートダム |
堤高 | 8.5 m |
堤頂長 | 47.5 m |
堤体積 | - m3 |
流域面積 | 165.0 km2 |
湛水面積 | - ha |
総貯水容量 | - m3 |
有効貯水容量 | - m3 |
利用目的 | 発電 |
事業主体 | 中部電力 |
電気事業者 | 中部電力 |
発電所名 (認可出力) |
和知野発電所 (6,300kW) |
施工業者 | - |
着手年 / 竣工年 | 1938年 / 1939年 |
備考 | 出典 [2] |
売木村役場から長野県道46号阿南根羽線を北上し、茶臼山温泉を過ぎて間もなく左折。岩倉川に沿って敷かれた道を進むと、岩倉ダムに着く。ダム湖畔にはキャンプ場がある。
豊発電所は岩倉ダムから売木川に沿って県道46号を東に進んだ地点(阿南町)にある。豊発電所で使用した水は和知野川(わちのがわ)に放流されるが、その水はすぐ下流にある和知野ダムにて再度取水され、和知野発電所へと送水されている。和知野ダムは高さ15メートル未満の重力式コンクリートダム(堰)で、中部電力の発電用ダムである。矢作水力は豊発電所完成後の1938年(昭和13年)10月、和知野発電所の建設に着手。1939年(昭和14年)12月に完成させた。その後、日本発送電時代を経て、戦後は中部電力に継承。1973年(昭和48年)には豊発電所と共に無人化されている。発電所の出力は完成当時6,400キロワットであったが、1971年(昭和46年)の放水路改修工事に伴い、6,100キロワットに修正。現在では6,300キロワットとなっている。
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岩倉ダム湖
脚注
[編集]関連項目
[編集]- ダム - 堰
- 日本のダム
- 重力式コンクリートダム - 日本の重力式ダム一覧
- 電力会社管理ダム - 日本の発電用ダム一覧
- 中部電力
- 泰阜ダム - 平岡ダム
参考文献
[編集]- 阿南町町誌編纂委員会編『阿南町誌 下』阿南町、1987年。
- 売木村誌編纂委員会編『売木村誌 下巻 近代編、現代編』売木村誌刊行委員会、2006年。
- 中部電力株式会社長野支店飯田電力センター発変電技術課 富永博文「水力発電所放水口騒音の低減対策 -放水路へのゴム幕適正配置によるペルトン水車騒音低減方法の考案」『技術開発ニュース No. 128』2007年。