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和田義信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
和田信高から転送)
 
和田義信
時代 鎌倉時代初期
生誕 文治2年(1186年
死没 建暦3年5月3日1213年5月24日
別名 六郎兵衛尉
氏族 和田氏
父母 父:義盛
兄弟 常盛義氏朝比奈義秀義直義重義信秀盛杉浦義国
正信
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和田 義信 (わだ よしのぶ)は、鎌倉時代武士和田義盛の子。通称六郎兵衛尉[1]

略歴

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義信は和田義盛の六男として生まれた。建暦3年(1213年)、和田合戦で討死。享年28[1]

義信が合戦の際に上野国群馬郡赤坂荘白川郷に隠れ、さらに義信の子の正信のとき白川郷から赤坂荘に移り、孫の信高にいたって、この地を和田宿と改称したという伝承がある[2][3]

高崎城の前身である和田城の築城主でもある[4]

脚注

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  1. ^ a b 『続群書類従 6上(系図部)』 1957, p. 23.
  2. ^ 高崎城”. 2022年9月19日閲覧。
  3. ^ 『高崎市史第1巻』 1968, p. 152.
  4. ^ 高崎城”. 2022年9月19日閲覧。

参考文献

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  • 『続群書類従 6上(系図部)』(続群書類従完成会、1957年、23p)
  • 『高崎市史第1巻』(高崎市史編さん委員会 、1968年、152p)