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和田義重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
和田義重
時代 鎌倉時代初期
生誕 治承2年(1178年)または治承4年(1180年
死没 建暦3年5月3日1213年5月24日
別名 五郎兵衛
氏族 和田氏
父母 父:義盛
兄弟 常盛義氏朝比奈義秀義直義重義信秀盛杉浦義国
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和田 義重(わだ よししげ)は、鎌倉時代御家人和田義盛の息子。通称五郎兵衛

経歴・人物

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建暦3年(1213年)、兄の義直と従兄弟の胤長と共に泉親衡の乱の企てに加担する。同年2月、企てが発覚すると、伊東祐長のもとで禁固に処されるが、父義盛の嘆願により北条義時の同意の上、兄の義直と共に赦免される。この際、胤長は赦されず、陸奥国岩瀬郡へ配流となった。この幕府の裁断に不満を持った義盛は一族を集め挙兵(和田合戦)。義重は5月3日に自害する[1]。享年36または34[2]

関連作品

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テレビドラマ

脚注

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  1. ^ 吾妻鏡』建暦三年五月三日条
  2. ^ 『寛政重修諸家譜 第9』(続群書類従完成会、1965年)p.37、巻第五百二十一

参考文献

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  • 『続群書類従 6上(系図部)』(続群書類従完成会、1957年、23p)
  • 『日本史蹟大系6巻』(平凡社 、1922年、2451p)