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向井寛三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
むかい かんざぶろう

向井 寛三郎
向井寛三郎の肖像
生誕 1889年
日本の旗 日本 大阪府交野市
死没 1958年
国籍 日本の旗 日本
出身校 京都高等工芸学校
職業 図案家、京都高等工芸学校教授
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向井 寛三郎(むかい かんざぶろう、1889年 - 1958年)は、大阪府出身の染織家、図案家。

京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科教授。武田五一の門下生のうちの一人。

概略

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来歴・人物

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大阪府(現在の交野市)出身。京都高等工芸学校図案科卒業。1917年に母校京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科へ招聘された。

1931年にドイツへ留学、ライマン工芸学校で室内装飾、平面図案、建築を学んだ[1]。帰国後は図案に科学的定義づけを行った[1]

西洋建築史家の向井正也は子息に当たる。

主な作品

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  • 叢(雁帰る):図案 1928年(昭和3年)/丸紅ミュージアム所蔵[1]
  • 京都府立東舞鶴高等学校校章:図案 1948年(昭和23年) - 全校生徒から案を募集し、優秀作2点を基にして向井が考案[2]

主な出版物

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  • 『指導刷新図画科の智識』 積善館、1925年
  • 『図案への通路』 創生社、1930年
  • 『図案学』 工業図書、1937年

交友関係者

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脚注

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  1. ^ a b c d e ミュージアム”. 京都丸紅. 2019年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月3日閲覧。
  2. ^ 校歌・校章・校訓”. 京都府立東舞鶴高等学校. 2017年8月28日閲覧。