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同友

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
同友 株式会社
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 017-0005[1]
秋田県大館市花岡町字前田123-1[1]
設立 1969年(昭和44年)9月16日[1]
業種 小売業
事業内容 スーパーマーケット事業
代表者 代表取締役社長 原田昭彦[要出典]
資本金 8800万円[要出典]
売上高 6529万円(2002年3月期)[要出典]
総資産 23億4200万円(2002年3月時点)[要出典]
従業員数 234名(2002年3月時点)[要出典]
決算期 3月[1]
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同友株式会社(どうゆう)は、官営時代からの小坂鉱山従業員向け販売施設を源流とし[2]同和鉱業の子会社としてかつてはスーパーマーケット事業を展開していた企業である[1]

概要

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供給所の誕生

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官営時代から小坂鉱山従業員向けに対する食料品・衣料品などの供給・販売が行われていたの販売施設が始まりである[2]

1901年(明治34年)3月29日に「小坂鉱山物資供給取扱所」を「小坂鉱山需要品供給所」へ改称[3]

この供給所は花岡鉱山など藤田組(後の同和鉱業、現在のDOWAホールディングス)の他の鉱山にも開設され、従業員や家族が食料、物品を買うと、会社が精算し給料日にその分を天引きするシステムを導入していた[4]

購買組合から生活協同組合へ

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小坂鉱山物品供給所の商品すべてを継承して[5]1920年(大正9年)8月1日に「有限責任会社小坂鉱山購買組合」を設立した[6][7]

1945年(昭和20年)10月4日[8]産業組合法に依る生活協同組合へ改組したが[9]1951年(昭和26年)3月28日に生活協同組合を解散した[10]

供給所の復活からスーパーへ

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生活協同組合の解散を受け、再び供給所へ改組し、食料品・衣料品・雑貨などを、従業員に加えて一般消費者向けへの供給するようになった[9]

1962年(昭和37年)6月1日に小坂供給所にセルフサービス方式を導入してスーパーマーケット業態に転換した[11]

1969年(昭和44年)9月16日[1]同友となった[12]

秋田県北地方や青森県大鰐町に店舗を展開していた、ピーク時の1991年(平成3年)3月期には約81億円の売上を計上していた[4]

しかし、2002年(平成14年)度を最終年度とする同和鉱業が進める構造改革にあって、本業と関連性の薄いスーパーの運営は異質であり、加えて同業他社との競合激化によって同友の経営も悪化していた[4]。その折、県北の無店舗地帯解消を図りたいマックスバリュ東北から、同和鉱業に同友の買収の申し入れがあり[13]2002年(平成14年)4月30日に同和鉱業はマックスバリュ東北に保有していた同友の全株式を売却した[14]。これによって同友はマックスバリュ東北の完全子会社となった[14]。 そして、同年5月1日付で5店舗をマックスバリュ東北に譲渡し[15]、同月中に改装して新装開店した[16]

2002年(平成14年)6月にマックスバリュ東北に吸収合併され、会社は消滅した。[要出典]

沿革

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  • 1890年明治23年) - 小坂鉱山事務所規則に供給係の職制を規定[9]
  • 1901年(明治34年)3月29日 - 「小坂鉱山物資供給取扱所」を「小坂鉱山需要品供給所」へ改称[3]
  • 1920年(大正9年)8月1日 - 「有限責任会社小坂鉱山購買組合」を設立[5][6][7]
  • 1945年(昭和20年)10月4日[8] - 産業組合法に依る生活協同組合へ改組[9]
  • 1951年(昭和26年)3月28日 - 生活協同組合を解散[10]。再び供給所へ改組し、食料品・衣料品・雑貨などを従業員及び一般消費者向けへの供給を開始[9]
  • 1962年(昭和37年)6月1日 - 小坂供給所にセルフサービス方式を導入してスーパーマーケット業態に転換[11]
  • 1969年(昭和44年)9月16日 - 同友株式会社を設立[1]
  • 1970年(昭和45年)8月2日 - 同友花岡店がオープン。
  • 1975年(昭和50年)6月28日 - 同友大館店がオープン。
  • 2002年(平成14年)
    • 4月30日 - 同和鉱業が全株式をマックスバリュ東北に売却[14]。マックスバリュ東北の子会社化[14]
    • 5月1日 - 5店舗をマックスバリュ東北に譲渡し[15]
    • 5月中 - 改装して新装開店[16]

店舗

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小坂鉱山購買組合

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本部住所:鹿角郡小坂町小坂鉱山尾樽部94[5] 組合員数:3,552人(1920年(大正9年)末時点)[5]

1920年(大正9年)8月1日に有限責任会社小坂鉱山購買組合として小坂鉱山物品供給所の商品すべてを継承して設立され[5]小坂町大湯町大館町七滝村長木村に在住する小坂鉱山の従業員のみが加入できた生活協同組合であった[17]

上大谷地と古舘のほぼ中間の当時の小坂鉱山事務所の下にあった2階建ての店舗を構えており[18]、10日間の給与の80%までという購入額の制限があった[19]

また、元山に出張所を開設していたほか、米穀類や薪炭類は宅配を行い、精米機も所有していた[20]

取扱品目は、食料品・衣料品・日用雑貨全般であり、化粧品や電灯などを含む生活必需品を網羅していた[21]

全国でも有数の売上高を誇り[22]、セールの日には商品の受け取りに2時間から3時間ほどかかることもあった[17]

供給所

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小坂鉱山

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延べ床面積1,200m2[11]、売場面積844m2[24]
1962年(昭和37年)6月1日にセルフサービス方式を導入した[11]
薬品部も設置していた[23]
売場面積73m2[26]
売場面積126m2[26]
売場面積126m2[26]

花岡鉱山

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延べ床面積650m2[28]、売場面積480m2[28]

赤金鉱山

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柵原鉱山

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売場面積679m2[29]

スーパーマーケット

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  • 同友小坂本店(鹿角郡小坂町小坂鉱山字古館49番地の3[30]、1969年(昭和44年)10月1日開店[31]
延べ床面積1,814m2[30]、売場面積1,165m2[31] → 1,210m2[30](直営売場面積1,156m2[30]
小坂駅近隣の踏切に近い場所に出店していた2階建ての店舗で、2階には食堂もあった[32]
売場面積899m2[33]
売場面積168m2[31]
延べ床面積1,613m2[35]、売場面積1,161m2[34]
売場面積185m2[34]
  • 同友花輪店(鹿角市花輪字下花輪33-2[1]、1996年(平成8年)11月開店[36]
鹿角市花輪新町商店街「キララしんまち」の核店舗として招致されて出店した[36]
  • 生鮮部事業所(秋田県大館市卸町[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『会社総鑑 店頭・未上場会社版 2000年版 下巻』 日本経済新聞社、2003年5月19日。ISBN 978-4532210090. pp6752
  2. ^ a b 小坂町町史編さん委員会 『小坂町史』 小坂町、1975年10月19日。pp457
  3. ^ a b 同和鉱業株式会社事業史編纂委員会 『七十年之回顧』 同和鉱業、1955年11月25日。 pp252
  4. ^ a b c 「スーパーの同友 マックスバリュへ 株全額譲渡 子会社化」『朝日新聞』秋田版 2002年3月13日
  5. ^ a b c d e 大原社会問題研究所 『本邦消費組合論 大原社会問題研究所叢書 第6』 大島秀雄、1922年8月25日。pp195
  6. ^ a b 同和鉱業株式会社事業史編纂委員会 『七十年之回顧』 同和鉱業、1955年11月25日。 pp261
  7. ^ a b 小坂町町史編さん委員会 『小坂町史』 小坂町、1975年10月19日。pp633
  8. ^ a b 同和鉱業株式会社事業史編纂委員会 『七十年之回顧』 同和鉱業、1955年11月25日。 pp273
  9. ^ a b c d e 同和鉱業株式会社事業史編纂委員会 『七十年之回顧』 同和鉱業、1955年11月25日。 pp242
  10. ^ a b 同和鉱業株式会社事業史編纂委員会 『七十年之回顧』 同和鉱業、1955年11月25日。 pp278
  11. ^ a b c d 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp58
  12. ^ 小坂町町史編さん委員会 『小坂町史』 小坂町、1975年10月19日。pp458
  13. ^ 「マックスバリュ東北 スーパー同友を子会社化へ 花輪店など閉鎖」『読売新聞』秋田版 2002年3月13日
  14. ^ a b c d 『日本企業のM&Aデータブック 1985-2007 1 統計編・テーマ別M&Aデータ編』 レコフ、2008年2月。pp610
  15. ^ a b ““人材抜擢”相次ぐ マックスバリュ東北、パート戦力化・「評価制度」を充実”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年5月15日). pp3
  16. ^ a b “全国小売流通特集 トップが語る成長戦略=マックスバリュ東北・原田昭彦社長”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年7月5日). pp13
  17. ^ a b 『郷土小坂 地理』 秋田県鹿角郡小坂尋常高等小学校、1934年11月7日。pp61
  18. ^ 『郷土小坂 地理』 秋田県鹿角郡小坂尋常高等小学校、1934年11月7日。pp60
  19. ^ 『郷土小坂 地理』 秋田県鹿角郡小坂尋常高等小学校、1934年11月7日。pp62
  20. ^ 大原社会問題研究所 『本邦消費組合論 大原社会問題研究所叢書 第6』 大島秀雄、1922年8月25日。pp197
  21. ^ 大原社会問題研究所 『本邦消費組合論 大原社会問題研究所叢書 第6』 大島秀雄、1922年8月25日。pp198
  22. ^ 『思い出のアルバム鹿角・鹿角市・小坂町 目で見る明治・大正・昭和』 無明舎出版、1980年7月10日。pp46
  23. ^ a b 『全国薬局薬店名鑑 1964年版』 薬事日報社、1964年8月1日。pp99
  24. ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp34
  25. ^ a b c d e f g h i 総理府統計局 『会社企業名鑑 昭和43年版』 日本統計協会、1968年11月。pp16
  26. ^ a b c d e f 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1968年3月20日。pp167
  27. ^ 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1968年3月20日。pp168
  28. ^ a b 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp103
  29. ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1968年版』 日本セルフ・サービス協会、1968年3月20日。pp347
  30. ^ a b c d 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1992年版』 東洋経済新報社、1992年。pp309
  31. ^ a b c d 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp497
  32. ^ 杉本賢治 “随想 紅葉にかこまれたやま 小坂鉱山合宿に参加して”. 金属鉱山研究 第63号 (金属鉱山研究会) (1991年3月29日).pp12
  33. ^ “改正大店法施行後の全国出店調査”. 日経地域情報 増大 1992年6月1日号 (日経産業消費研究所) (1992年6月1日).pp6
  34. ^ a b c d e f 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp494
  35. ^ 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1996年版』 東洋経済新報社、1996年。pp254
  36. ^ a b 永井浩一 “躍動する商店街 業態特性と街づくりを一本化した商店街 秋田県鹿角市花輪新町商店街振興組合・鹿角市商工会”. 商工会 第63号 (全国商工会連合会) (1998年3月25日).pp29

関連項目

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