吉村友之進
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吉村 友之進(よしむら とものしん、1873年(明治6年)2月24日[1] - 1951年(昭和26年)4月13日[2])は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。吉村角次郎の子。
経歴
[編集]地元の旧家で実業家・貴族院議員の吉村角次郎の長男[3][4][注 1]として和歌山県那賀郡、のちの岩出村[3](岩出町を経て現岩出市)に生まれ、1891年(明治24年)東京法学院を卒業する[2][5]。1902年(明治35年)5月、家督を相続する[1]。農業を営む傍ら[1]、家業の製糸業を継ぎ[3]、吉村製糸社長、和歌山紡績取締役[2]、南方酒造監査役[5]などを歴任した。
1939年(昭和14年)和歌山県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。在任中は交友倶楽部に所属した[2]。
親族
[編集]- 父:吉村角次郎(貴族院多額納税者議員)
- 弟:吉村幹三郎(海軍法務官)[7]
- 弟:吉村謙一郎(朝鮮郵船取締役)[5][8]
- 三女:貞子。三宅哲一郎の弟・三宅嘉種(新菱建設、辰村組常務)の妻。
- 親戚:佐々木静子[9]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『人事興信録 第4版』よ38頁では二男。
出典
[編集]- ^ a b c 人事興信所 1915, よ38頁.
- ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1960, 182頁.
- ^ a b c 『和歌山県史 人物』524頁。
- ^ 『和歌山県那賀郡誌 下巻』1040頁。
- ^ a b c 人事興信所 1928, ヨ68頁.
- ^ 『官報』第3823号、昭和14年9月30日。
- ^ 人事興信所 1928, ヨ68-69頁.
- ^ 人事興信所 1928, ヨ66頁.
- ^ 『もえる日日 わたし自身の暦』佐々木静子、ミネルヴァ書房 1984年、p38
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 和歌山県那賀郡編『和歌山県那賀郡誌 下巻』那賀郡、1923年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。