コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

吉川晃司 サングラスをはずして

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉川晃司
ハートブレイクを抱きしめて

吉川晃司
オンザロードで恋をして

吉川晃司 サングラスをはずして
ジャンル トーク番組
放送方式 収録
放送期間 1984年10月13日1987年10月3日
放送時間 毎週土曜日 21:30 - 22:00
→ 毎週土曜日 22:00 - 22:30
放送局 ニッポン放送
制作 ニッポン放送
ネットワーク NRN系列各局
パーソナリティ 吉川晃司
提供 小学館(※1986年9月まで)
CBSソニー出版
(現・エムオン・エンタテインメント
(※1986年10月以降)
テンプレートを表示

吉川晃司 サングラスをはずして(きっかわこうじ サングラスをはずして)は、1985年10月12日から1987年10月3日までニッポン放送の制作でNRN系列各局にて放送されていたラジオ番組。メインパーソナリティ吉川晃司

本項では、本番組の前身番組『吉川晃司 オンザロードで恋をして』(きっかわこうじ オンザロードでこいをして 1985年4月13日〜同年10月5日)、前々身番組『吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて』(きっかわこうじ ハートブレイクをだきしめて 1984年10月13日〜1985年4月6日)についても本項で併せて説明。

概要

[編集]

パーソナリティの吉川晃司は、この年1984年2月に『モニカ』でデビューし、一躍ヒット歌手の仲間入りを果たしたばかり。1984年10月13日に『吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて』のタイトルでスタートし[1]、この頃はトーク、各企画、はがき紹介を中心に構成され、吉川による「軽快なおしゃべり」と番組内容が紹介されていた[1]。この初期の『ハートブレイクを抱きしめて』の当時は、ゲストと一緒に「どうしてロックは楽しいのか」を対談風に進行しながら追求するというコーナーなどがあった[2]

スタートから6か月後の1985年4月13日よりタイトルが『吉川晃司 オンザロードで恋をして』に改題される[注釈 1]

『オンザロードで恋をして』に改題後更に6か月後の1985年10月12日に『吉川晃司 サングラスをはずして』に改題、このタイトルで最終回まで2年間放送され続けた。『サングラスをはずして』に改題以後はほぼ毎週ゲストを迎えるようになり、ゲストとのトークと[4]、フリートークとはがき紹介などといった構成で放送された[1]

スポンサーは、1986年9月までは小学館、1986年10月以降はCBSソニー出版(現・エムオン・エンタテインメントの各一社提供。CBSソニー出版一社提供枠は後継番組『藤井郁弥 キュートしようよ』にも引き継がれた[5]

1987年2月に吉川は自身の主演する日本イタリア合作映画『シャタラー』の長期ロケ撮影でイタリアへ渡ったため[6]、1987年2月7日から2月28日の間は4回にわたり本番組は休止になり、この間は代役としてデーモン小暮(現・デーモン閣下)をパーソナリティとした『デーモン小暮 素顔のままで』(デーモンこぐれ すがおのままで)が放送された[7]

放送されていた局

[編集]

[8]

  • ニッポン放送(制作局)
    • 土曜日 21:30 - 22:00 (『ハートブレイクを抱きしめて』 1984年10月13日〜1985年4月6日)
    • 土曜日 22:00 - 22:30 (『オンザロードで恋をして』〜『サングラスをはずして』 1985年4月13日〜1987年10月3日
以下はネット局
(「→」は、放送曜日・時間帯変更無し、網掛け枠は放送無し)
局名 1984年10月 -
1985年3月
1985年4月 -
1985年9月
1985年10月 -
1986年3月
1986年4月 -
1986年9月
1986年10月 -
1987年3月
1987年4月 -
1987年10月
STVラジオ 日曜 21:30 - 22:00 土曜 24:00 - 24:30 日曜日 23:30 - 24:00
青森放送 土曜 24:30 - 25:00
北日本放送 土曜 23:30 - 24:00
MBSラジオ 日曜 21:00 - 21:30 日曜 23:15 - 23:45
KBS京都 土曜 20:00 - 20:30 土曜 21:00 - 21:30
中国放送 日曜 13:00 - 13:30 日曜 12:30 - 13:00 日曜 14:30 - 15:00
九州朝日放送 金曜 20:30 - 21:00
熊本放送 火曜 24:25 - 24:55
宮崎放送 日曜 20:30 - 21:00
南日本放送 土曜 21:00 - 21:30

ゲスト一覧

[編集]

[4]

1984年
1985年
1986年
1987年

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 本番組では各新聞ラジオ欄においては、タイトルが改題されるたびに「終」(『ハートブレイクを - 』の最後の1985年4月6日、『オンザロードで - 』の最後の1985年10月5日)、「新」(『オンザロードで - 』の初回の1985年4月13日、『サングラスをはずして』の初回の1985年10月12日)のマークが付いていた[3]

出典

[編集]
  1. ^ a b c ラジオマガジン 1984年11月号「恒例!番組改編できるだけ速報」p.57
  2. ^ a b c d e 明星 1984年12月号「放送研究会」p.179
  3. ^ 1985年4月6日、1985年4月13日、1985年10月5日、1985年10月12日 各日の各新聞ラジオ欄
  4. ^ a b 朝日新聞等各紙 1984年10月13日 - 1987年10月3日ラジオ欄、本番組での記載より
  5. ^ ラジオ新番組速報版 1986年春号〜1987年秋号 ニッポン放送番組表
  6. ^ PATi PATi(CBSソニー出版)1987年5月号 p.123 - 126 吉川晃司記事
  7. ^ 1987年2月7日・2月14日・2月21日・2月28日 各日の各新聞ラジオ欄
  8. ^ ラジオ新番組速報版 1984年春号〜1987年春号 全国AM番組ネット局一覧表
ニッポン放送 土曜日 21:30 - 22:00 枠
前番組 番組名 次番組
アントニオ猪木
闘魂ザ・ワールド
吉川晃司
ハートブレイクを抱きしめて
(1984年10月〜1985年4月)
ニッポン放送 土曜日 22:00 - 22:30 枠
ライブオン! 少年隊
(→ 土曜22:30 - 23:00枠へ移動)
吉川晃司
オンザロードで恋をして

吉川晃司 サングラスをはずして
(1985年4月〜1987年10月)