ジャッキー・リン&パラビオン
ジャッキー・リン&パラビオン | |
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別名 | ジャッキー・リン&アクエリアス |
出身地 | 日本 |
活動期間 | 1987年 |
レーベル | バップ |
メンバー |
ジャッキー・リン(ボーカル) 森口哲也(ギター) 近藤洋史(ベース) 寺田正彦(キーボード) 初川克郎(パーカッション) 川口雷二(ドラムス) |
ジャッキーリン&パラビオンは、日本のバンド。1987年結成。
本項ではヴォーカルのジャッキー・リン自身についても扱う。
ジャッキー・リンの経歴・人物と結成まで
[編集]ジャッキー・リン(本名:林河廷、1966年10月7日 - )は、中国と韓国の両親の下に生まれた香港人。スイスの学校に在学中、1985年の香港のミスコンテストに出場。そこで2位になるも、彼女は納得ができず映画「歌者恋歌」に出演した。その姿が当時トライアングル・プロダクションの社長だった藤田浩一の目に留まりスカウトされた。
そして、日本語学校に通った後、「女性版オメガトライブ」のコンセプトで「ジャッキーリン&パラビオン」を結成した。[1]
デビューシングル「Strangers Dream」は、日本テレビ系の刑事ドラマ『ジャングル』の主題歌に起用され、1987年4月30日にバップから発売された。このシングルはオリコンで最高9位、10万枚を超えるヒットとなり、『歌のトップテン』『ザ・ベストテン』でもそれぞれ最高7位、10位とランクインを果たした。また、文化放送『東京っ子NIGHTお遊びジョーズ』内の「TOKYO ELEGANT WAVE」や、ABCラジオ『ABC東京発 アーチストNOW』などのラジオ番組への出演の他、同じく藤田浩一がプロデュースしていた1986オメガトライブの前座としてコンサートにも出演し、ボーカルをつとめるジャッキーのルックスもあって徐々に人気も出始めていた。
突然の解散
[編集]デビューシングルのヒットを受けて、セカンドシングルとなる「Late Night Heartache」(作詞:売野雅勇、作曲:和泉常寛、編曲:新川博)、そしてアルバムをリリースする予定であった[2]。しかし、日本と香港の芸能界の違いに精神的に参ってしまい、また、オメガトライブのボーカルだったカルロス・トシキとの恋愛関係も取りざたされて嫌気がさしたジャッキーは香港に帰国。そのままバンドも解散した。
その後は韓国に渡り、1990年代中頃には現地のテレビ番組やCMに出演するなど活動をしていた。[3][4][5]しかし、韓国芸能界でのストレスから1997年にコカインを使用した容疑で姿を消し、現在までの詳しい消息は不明である。[6]
なお、セカンドシングルの予定だった楽曲「Late Night Heartache」は、翌1988年発売になった菊池桃子率いるバンドラ・ムーのデビューアルバム「THANKS GIVING」に収録されている。
また、「Strangers Dream」は台湾の女性歌手・徐仲薇が1988年にリリースしたアルバム『愛偶奇遇記』の中で英語にてカバーされている。
メンバー
[編集]- ジャッキー・リン(ボーカル)
- 森口哲也(ギター) - リーダー。現在ロサンゼルス在住。
- 近藤洋史(ベース) - のちにELLISを結成。
- 寺田正彦(キーボード)
- 初川克郎(パーカッション)
- 川口雷二(ドラムス) - ジョージ川口の次男。
- ボビー・ワトソン(ベース)※最初の「ザ・ベストテン」出演時
シングル
[編集]脚注
[編集]- ^ 結成当初は「ジャッキー・リン&アクエリアス」と言った。
- ^ 1987年学研から発売の音楽誌『THE BEST HIT』による。
- ^ Memory Distant (2017-10-24), 재키 림(Jackie Lim) - 『1996年04月23日「밤과 음악 사이」』 2018年4月9日閲覧。
- ^ ComicRock (2014-03-16), [TV-CF 하이트맥주 - VJ 재키림] 2018年4月9日閲覧。
- ^ leigh jannifer (2016-11-19), 장국영 재키림인터뷰하일라이트 2018年4月9日閲覧。
- ^ “Jackie Lim and The Prostitution of Korean Entertainers, 1995” (英語). The Grand Narrative. (2008年7月9日) 2018年4月9日閲覧。