吉原元親
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 天正11年7月2日(1583年8月19日) |
別名 | 通称:藤左衛門→五郎兵衛 |
官位 | 豊後守 |
主君 | 毛利元就→輝元 |
氏族 | 藤原姓吉原氏 |
父母 | 父:吉原親冬 |
兄弟 | 元親、女(福原貞俊室)、女(敷名元範室)、女(市川式部少輔室)、女(吉原親房室)、女(吉原彦右衛門室)、女(吉原親良室) |
子 | 元種、親俊、女(乃美景興室)、女(和泉藤九郎室)、女(志道元勝室)、女(東村彦右衛門室) |
吉原 元親(よしわら もとちか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。備後国の国人で、後に毛利氏家臣となる。父は吉原親冬。嫡男は下松藩次席家老となる神村元種。
出自
[編集]吉原氏は、源頼朝の時代に駿河国吉原で200貫を知行したことから吉原氏を称し、後に備後国世羅郡下瀬田村へと移った。
生涯
[編集]備後国の国人である吉原親冬の子として生まれる。天文8年(1539年)10月1日に父・親冬が死去し、その後を継いだ。
備後国世羅郡下瀬田村から同郡の則光庄に移り、杉城を築いて地名を「吉原村」と改称する。
天文21年(1552年)に毛利元就に属して以降度々軍功を挙げ、永禄年間は尼子氏との戦いに従軍した。また、永禄5年(1562年)には元就の命を受けて本城常光を誅殺し、常光の石見国山吹城に在番した。
天正11年(1583年)7月2日に死去。嫡男の元種が後を継いだ。