コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

古賀新三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
古賀新三

古賀 新三(こが しんぞう、1907年?[1] - 1993年2月[2])は、日本陸上競技選手、専門はマラソン。戦前から戦後間もない時期にかけて、各地の駅伝やマラソン大会に出場し、優勝を重ねる活躍をした。選手として活躍していた当時は、三井山野炭鉱に所属する[3]炭坑労働者であった[4]

おもな成績

[編集]

特記のない限り、種目はマラソン

  • 1947年5月18日:第2回 全日本毎日マラソン選手権(大阪)
    • 優勝 - 2:43:17[7]
  • 1947年12月7日:第1回 朝日マラソン(熊本県:後の福岡国際マラソンの前身)
    • 2位 - 2:48:06
      • 優勝候補と目されていた古賀は、トップで中間点を折り返したが、残り7kmで右足を痛め、最後の2kmは歩いてゴールした。優勝は、2:45:45を出した和田敏一[4]
  • 1948年5月9日:第3回 全日本毎日マラソン選手権(大阪)
    • 優勝 - 2:40:05
      • 前半は福家年夫と競り合い、後半は独走に持ち込んだ[8]
  • 1949年12月4日:第3回 朝日マラソン(静岡県)
    • 優勝 - 2:40:26
      • 既に42歳になっていた古賀は、若手だった山田敬蔵とのマッチレースを制して優勝したが、これを機に本格的なマラソン競技から引退した[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 福岡国際マラソンプレーバック 第3回大会(朝日マラソン)昭和24年12月4日 戦後の食糧難時代 42歳古賀がいぶし銀の走りで逆転”. 朝日新聞社. 2014年12月1日閲覧。 “... この時すでに42歳。古賀は、この大会を最後に競技生活に終止符を打った。”[リンク切れ]
  2. ^ 昭和にかえりたい びわ湖毎日マラソン、第1回は大阪で 参加賞は足袋用ゴム”. 毎日新聞社. 2014年12月1日閲覧。
  3. ^ a b 八田保政「戦後の三井山野炭坑」『エネルギー史研究 : 石炭を中心として』第15号、1991年12月25日、242頁。「第一回朝日駅伝競走に山野鉱業所より出場 中村捨成 古賀新三 両選手出場」  NAID 110006955167
  4. ^ a b c d 福岡国際マラソンプレーバック 第1回大会(朝日マラソン)昭和22年12月7日 熊本で初開催 歩き出した本命の古賀に伏兵和田が第1回優勝者に”. 朝日新聞社. 2014年12月1日閲覧。[リンク切れ]
  5. ^ びわ湖毎日マラソン大会の歴史 第1回大会 初代王者は古賀”. 毎日新聞社. 2014年12月1日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ a b c 国民体育大会” (PDF). 日本体育協会. 2014年11月29日閲覧。
  7. ^ びわ湖毎日マラソン大会の歴史 第2回大会 古賀連覇 前回を1分40秒短縮”. 毎日新聞社. 2014年12月1日閲覧。[リンク切れ]
  8. ^ びわ湖毎日マラソン大会の歴史 第3回大会 古賀輝く3連覇”. 毎日新聞社. 2014年12月1日閲覧。[リンク切れ]
  9. ^ びわ湖毎日マラソン大会の歴史 第4回大会 山田、古賀のV4を阻む”. 毎日新聞社. 2014年12月1日閲覧。[リンク切れ]