古代ローマの独裁官一覧
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古代ローマの独裁官一覧(こだいローマのどくさいかんいちらん)は共和政ローマの独裁官(ディクタトル)を年毎に記載した一覧。
概要
[編集]発掘されたFasti Capitolini には歴代執政官の名と同時に、独裁官やケンソルの名が刻まれているが、紀元前483年以降しか残っておらず、削れて読めない部分も多い。またティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』で残っている第一デカーデ (1~10巻)は紀元前293年までで、第二デカーデ (11~20巻)は失われており、数名の時期がはっきりしない。
Fasti に残されているものについては、独裁官名の後に騎兵長官 (マギステル・エクィトゥム)が記されており、その次に指名された理由も書かれている。
- rei gerundae causa、公務のため (戦争など)
- clavi figendi causa、釘打ちの儀式のため (厄除けの儀式)
- comitiorum habendorum causa、民会開催のため (執政官選挙)
の3つの理由が多い。
リストでは、年、独裁官名、騎兵長官名を以下の形式で表記する。
- 年
- 独裁官名 (ローマ数字は回数)、理由など
- 騎兵長官名
一覧
[編集]紀元前6-5世紀
[編集]- 紀元前501年[1]
- ティトゥス・ラルキウス・フラウス、初代独裁官 (前498年説も[2])
- 紀元前499年[3]
- アウルス・ポストゥミウス・アルブス・レギッレンシス、レギッルス湖畔の戦いを指揮 (前496年とも)
- 紀元前439年[7]
- ルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス II、スプリウス・マエリウスを叛逆罪で処刑
- 紀元前434年[10]
- マメルクス・アエミリウス・マメルキヌス II、ケンソルの任期を1年半に短縮
紀元前4世紀
[編集]- 紀元前396年[15]
- マルクス・フリウス・カミッルス、公務のため。ウェイイを陥落させる
- 紀元前380年[19]
- ティトゥス・クィンクティウス・キンキナトゥス・カピトリヌス、公務のため
- アウルス・センプロニウス・アトラティヌス
- 紀元前368年[20]
- マルクス・フリウス・カミッルス IV、公務のため。選出に瑕疵がありすぐ辞任
- プブリウス・マンリウス・カピトリヌス、公務のため
- 紀元前367年[21]
- マルクス・フリウス・カミッルス V、公務のため
- ティトゥス・クィンクティウス・キンキナトゥス・カピトリヌスもしくはポエヌス
- 紀元前363年[22]
- ルキウス・マンリウス・カピトリヌス・インペリオスス、釘打ちの儀式のため
- ルキウス・ピナリウス・ナッタ
- 紀元前362年[23]
- アッピウス・クラウディウス・クラッスス・インレギッレンシス、公務のため
- -・-・スカ-ウ-ラ (Fasti にしかなく一部しか読めない)
- 紀元前350年[30]
- ルキウス・フリウス・カミッルス (紀元前349年の執政官)、選挙のため
- プブリウス・コルネリウス・スキピオ
- 紀元前345年[33]
- ルキウス・フリウス・カミッルス II、紀元前349年の執政官もしくは紀元前338年の執政官
- 紀元前339年[37]
- クィントゥス・プブリリウス・ピロ、この年の執政官。プブリリウス法定める
- 紀元前337年[38]
- ガイウス・クラウディウス・インレギッレンシス
- ガイウス・クラウディウス・ホルタトル
- 紀元前333年[40]
- プブリウス・コルネリウス・ルフィヌス、独裁官の年
- マルクス・アントニウス
- 紀元前321年[46]
- クィントゥス・ファビウス・アンブストゥス、執政官選挙のために立てられるも選出に瑕疵があり辞任
- マルクス・アエミリウス・パプス、執政官選挙を行えずインテルレクス制へ
- ルキウス・ウァレリウス・フラックス
- 紀元前320年[47]
- ガイウス・マエニウス、査問のため
- ルキウス・コルネリウス・レントゥルス (紀元前327年の執政官)、公務のため
- ティトゥス・マンリウス・インペリオスス・トルクァトゥス III、選挙のため
- 紀元前315年[49]
- クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルッリアヌス、公務のため
- クィントゥス・アウリウス・ケッレタヌス、戦死
- ガイウス・ファビウス・アンブストゥス、補充
- 紀元前314年[50]
- ガイウス・マエニウス II、公務のため
- 紀元前313年[51]
- ガイウス・ポエテリウス・リボ・ウィソルス、公務のため
- (クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルッリアヌス)、シケリアのディオドロスの説[52]
- (マルクス・フォスリウス・フラッキナトル III)、リウィウスの説[53]
- 紀元前309年[55]
- ルキウス・パピリウス・クルソル (紀元前326年の執政官) II、公務のため。独裁官の年
- 紀元前302年[57]
- ガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルトゥス、公務のため
- マルクス・ティティニウス
紀元前3世紀
[編集]- 紀元前280年[61]
- グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス・マクシムス、選挙のため
- 不明 (Fasti 読めず)
- 紀元前257年[63]
- クィントゥス・オグルニウス・ガッルス、祝祭のため
- マルクス・ラエトリウス・プランキアヌス
- 紀元前249年[64]
- マルクス・クラウディウス・グリキア、出自が問題とされ即解任
- アウルス・アティリウス・カラティヌス、公務のため。独裁官として初めてイタリア外に出征
- 紀元前217年[69]
- クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ウェッルコスス II、インテルレクスとして。対ハンニバル
- ルキウス・ウェトゥリウス・ピロ (紀元前220年の執政官)、選挙のため
- 紀元前216年[70]
- マルクス・ユニウス・ペラ、公務のため。カンナエの戦い後の軍再編
- マルクス・ファビウス・ブテオ、Fasti の記載なし。元老院再編
- 紀元前213年[71]
- ガイウス・クラウディウス・ケント、選挙のため
紀元前1世紀
[編集]- 紀元前82年[78]
- ルキウス・コルネリウス・スッラ・フェリクス、国家再編のため
- 紀元前49年[79]
- ガイウス・ユリウス・カエサル、選挙のため
- 指名なし
- 紀元前47年[80]
- ガイウス・ユリウス・カエサル II、公務のため
- 紀元前45年[81]
- ガイウス・ユリウス・カエサル III、公務のため
- 紀元前44年[82]
- ガイウス・ユリウス・カエサル IV、公務のため、終身独裁官就任
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Broughton Vol.1, p.9.
- ^ Broughton Vol.1, p.12.
- ^ Broughton Vol.1, p.10-11.
- ^ Broughton Vol.1, p.14.
- ^ Broughton Vol.1, p.35.
- ^ Broughton Vol.1, p.39-40.
- ^ Broughton Vol.1, p.56.
- ^ Broughton Vol.1, p.58-59.
- ^ Broughton Vol.1, p.60.
- ^ Broughton Vol.1, p.62.
- ^ Broughton Vol.1, p.63.
- ^ Broughton Vol.1, p.67.
- ^ Broughton Vol.1, p.72.
- ^ Broughton Vol.1, p.78-79.
- ^ Broughton Vol.1, p.87-88.
- ^ Broughton Vol.1, p.95.
- ^ Broughton Vol.1, p.97.
- ^ Broughton Vol.1, p.101.
- ^ Broughton Vol.1, p.105.
- ^ Broughton Vol.1, p.112.
- ^ Broughton Vol.1, p.113-114.
- ^ Broughton Vol.1, p.117.
- ^ Broughton Vol.1, p.117-118.
- ^ a b Broughton Vol.1, p.119.
- ^ Broughton Vol.1, p.121-122.
- ^ Broughton Vol.1, p.123.
- ^ Broughton Vol.1, p.125.
- ^ Broughton Vol.1, p.125-126.
- ^ Broughton Vol.1, p.127.
- ^ Broughton Vol.1, p.128.
- ^ Broughton Vol.1, p.129.
- ^ Broughton Vol.1, p.130.
- ^ Broughton Vol.1, p.131.
- ^ Broughton Vol.1, p.132.
- ^ Broughton Vol.1, p.133-134.
- ^ Broughton Vol.1, p.136.
- ^ Broughton Vol.1, p.137-138.
- ^ Broughton Vol.1, p.139.
- ^ Broughton Vol.1, p.140.
- ^ Broughton Vol.1, p.141.
- ^ Broughton Vol.1, p.141-142.
- ^ Broughton Vol.1, p.143.
- ^ Broughton Vol.1, p.145-146.
- ^ Broughton Vol.1, p.148.
- ^ Broughton Vol.1, p.150.
- ^ Broughton Vol.1, p.151.
- ^ Broughton Vol.1, p.152-153.
- ^ Broughton Vol.1, p.156.
- ^ Broughton Vol.1, p.156-157.
- ^ Broughton Vol.1, p.157.
- ^ Broughton Vol.1, p.158.
- ^ ディオドロス, 19.101.
- ^ リウィウス, 9.28.
- ^ Broughton Vol.1, p.159.
- ^ Broughton Vol.1, p.163.
- ^ Broughton Vol.1, p.166.
- ^ Broughton Vol.1, p.169-170.
- ^ Broughton Vol.1, p.171.
- ^ Broughton Vol.1, p.185.
- ^ Broughton Vol.1, p.187.
- ^ Broughton Vol.1, p.191.
- ^ Broughton Vol.1, p.204.
- ^ Broughton Vol.1, p.207-208.
- ^ Broughton Vol.1, p.215.
- ^ Broughton Vol.1, p.216.
- ^ Broughton Vol.1, p.226.
- ^ Broughton Vol.1, p.231.
- ^ Broughton Vol.1, p.234.
- ^ Broughton Vol.1, p.243-244.
- ^ Broughton Vol.1, p.248.
- ^ Broughton Vol.1, p.263.
- ^ Broughton Vol.1, p.278.
- ^ Broughton Vol.1, p.290.
- ^ Broughton Vol.1, p.295.
- ^ Broughton Vol.1, p.301-302.
- ^ Broughton Vol.1, p.311.
- ^ Broughton Vol.1, p.316.
- ^ Broughton Vol.2, p.66-67.
- ^ Broughton Vol.2, p.256-257.
- ^ Broughton Vol.2, p.286.
- ^ Broughton Vol.2, p.305-306.
- ^ Broughton Vol.2, p.317-319.
参考文献
[編集]- Fasti Capitolini
- ティトゥス・リウィウス『ローマ建国史』。
- シケリアのディオドロス『歴史叢書』。
- T. R. S. Broughton (1951, 1986). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
- T. R. S. Broughton (1952). The Magistrates of the Roman Republic Vol.2. American Philological Association