原九造
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原 九造(はら きゅうぞう、旧姓・水野、1882年〈明治15年〉11月1日[1] - 没年不明)は、日本の酒造家、会社役員[2]、地主[2]、広島県多額納税者[3][4][5][6]。族籍は広島県平民[7][8]。
人物
[編集]広島県人・水野金之助の三男[3][7]。1896年、先代百次郎の養子となり[7]、1915年、家督を相続した[3][6]。原家は白島で累世酒造業を営み、第二世徳次郎、第三世百次郎を経て九造に至った[9]。
清酒酒造業を営み[8]、広島県多額納税者であった[3][5]。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[1]。祖先代々その醸造にかかる清酒の改善に余念がなかった[9]。
名酒蓬莱鶴園の白露九星正宗等の醸造を見るに至った[9]。大蔵省醸造協会主催全国酒類品評会、中国五県連合酒醤油品評会、広島県酒類品評会、台湾勧業共進会その他各博覧会共進会品評会に出品して悉く入選し金銀賞牌の受領数十幾回に達した[9]。
趣味は謡曲[5][6]。宗教は浄土真宗本願寺派[5][6]。住所は広島市白島九軒町[5][6][8]。
家族・親族
[編集]- 原家
- 養父・百次郎[3][10]
- 養母・ユキ(1870年 - ?、広島、水野金之助の四女)[3]
- 妻・テウ(1886年 - ?、広島、原精一の長女)[3]
- 女・金子(1913年 - ?、養子・幸夫の妻)[6]
- 養子・幸夫(1909年 - ?、広島、清酒醸造業・源田春七の三男[11]、商工省[5]、満州国政府勤務[6])
- 孫[5]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』469頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月26日閲覧。
- ^ a b 『商工資産信用録 第43回』広島県ノハヒ之部14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第8版』ハ101頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月26日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第31版』附録 全国多額納税者 広島県60頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第12版 下』ハ123頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月26日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『人事興信録 第13版 下』ハ111頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月27日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第7版』は30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月26日閲覧。
- ^ a b c 『大日本長者名鑑』中国2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月1日閲覧。
- ^ a b c d 『広島県紳士名鑑』広島市之部32頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月26日閲覧。
- ^ 『大日本紳士鑑』広島県広島市811頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月27日閲覧。
- ^ a b 『自治産業発達誌』398 - 399頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年6月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
- 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
- 『大日本長者名鑑』貞文舍、1927年。
- 交詢社編『日本紳士録 第31版』交詢社、1927年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 国際通信社『自治産業発達誌』国際通信社、1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。