危口統之
危口 統之(きぐち のりゆき、1975年 1月15日- 2017年3月17日)は、日本の演出家、劇作家、アートパフォーマーである。
来歴
[編集]岡山県倉敷市生まれ。父は洋画家の木口敬三[1]。1993年横浜国立大学工学部建築学科入学。在学時より演劇活動を開始する。1999年に大学を卒業。ほどなくして演劇活動を停止し、建設作業員として働き始める(なお、このときの経験は、のちに「搬入プロジェクト」として活かされることになる)。
2008年に劇団「悪魔のしるし」を旗揚げし、演劇活動を本格的に再開する。以降、フェスティバル/トーキョー公募プログラム参加を皮切りに、トーキョーワンダーサイト国内交流プログラム参加(2011年)、セゾン文化財団ジュニアフェロー(2012-13年)などにより、活動の場を国内外へ広げていった。
2016年12月7日悪魔のしるし公式サイトにて肺がんステージ4であることを発表した[2]。その後故郷の岡山・倉敷で療養を開始し、ブログ「疒日記(やまいだれにっき)」でその思考を綴っていた[3]。また舞台公演「蟹と歩く」の上演を立案[4]。2017年3月17日、病状悪化ため42歳で死去[5]。
関連事項
[編集]演出家の危口統之(1975年生〜2017年没)が、2008年に結成。演劇的な舞台作品と、あるルールに則った即興要素のあるパフォーマンスなど、様々な作品の上演を重ねる。舞台作品としては、危口自身とその実父が出演する『わが父、ジャコメッティ』(2014年、2016年)が、海外を含む6都市で上演され、パフォーマンス作品としては『搬入プロジェクト』が初演以来、国内外でも評価を受け、2016年までに8カ国20箇所での公演を重ねてきた。
危口統之没後の現在は、建築家の石川卓磨や、デザイナーの宮村ヤスヲ、企画・プロデュースの金森香らを中心に、危口統之の作品アーカイビング活動や、演出家の意志を継ぐ形で2018年に「搬入プロジェクト」のオープン化を宣言した。[6]
【悪魔のしるし旧サイトより】
なにか劇をやるというよりは
なにかを劇にする
なにかが劇になる
あるいは
劇をなにかにするみたいなことばかりやっている
事前に設定された空間(施設や広場など)に対して、あらかじめ制作した構造物(以降「物体X」という)を多人数で協力して運搬する上演を「搬入プロジェクト」という。もっぱら、ある建物の外部から内部へと物体Xを運び込む、という場合が多い。物体Xは、上演の対象となる空間の測量を経て形状が設計され制作される。その形状は、一見すると搬入経路にはすんなりとは入らないと思えるような形状に工夫されている。[7]
土地の演技としての観光地
[編集]大学時代建築学専攻であり、その後演劇活動を行う中で、演技と観光地を結びつけることで得た自説[8]。古い街並みを保存し完璧に観光地化された地域と、観光エリアに隣接する古い街並みを残した住居エリアとを比較し、観光地化され暮らしの営みが無くなった地域よりも、古い街並みと人々の暮らしが混在しながら維持された地域に、より自然体の魅力が保存されているといった点に着目した説。[9]関連語に「俳優は敷地、演技は建築物」などがある[10]。
主な作品
[編集]舞台
[編集]- 劇的なるものをネグって 2016年
- パレ・ド・コーキョ 2015年
- ゾンビオペラ 死の舞踏 2015年
- オール・アポロジーズ 2014年
- わが父、ジャコメッティ 2014年
- 注文の夥しい料理店についての簡潔な報告 2013年
- 悪魔としるし 2013年
- オスヌ・オタマイ・ウカルベカス 2013年
- 芯まで腐れ 2013年
- 倒木図鑑 2012年
- 桜悪魔の園しるし 2012年
- 悪魔のしるしのグレートハンティング 2010年
- 禁煙の害について 2010年
- 注文の夥しい料理店 2008年
パフォーマンス
[編集]関連書籍
[編集]著作
[編集]- 危口統之『危口統之一〇〇〇』(2018年)[14]
- 危口統之、同行者ほか『「蟹と歩く」記録集』(2017年5月31日)[15]
- 悪魔のしるし『CARRY-IN-PROJECT 2008-2013 DOCUMENT: WORDS』(2015年3月31日)[16]
- 危口統之『遊星からの物体を搬入 プロジェクトX2 ~神宮前3丁目計画』(2009年4月25日)
- 危口統之『月刊悪魔のしるし第4号 遊星からの物体を搬入プロジェクトX』(2008年2月17日)
関連書籍
[編集]- 悲劇喜劇 2018年3月号 内野儀『2017年回顧-危口統之のために(P12-14)』(2018年3月1日)[17]
- orangcosong(住吉山実里+藤原ちから)『町を旅する道具箱(P124-125)』(2023年4月20日)[18]
- 前田隆弘『死なれちゃったあとで P121〜133(人生はまだ動いているわけだから)』(2024年3月25日)[19]
- 橋本倫史『観光地ぶらり P370-275(あとがき)』(2024年3月31日)[20]
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “悪魔のしるし×KAAT 『わが父、ジャコメッティ』|KAAT 神奈川芸術劇場”. KAAT 神奈川芸術劇場. 2024年7月2日閲覧。
- ^ Inc, Natasha. “悪魔のしるし主宰・危口統之、肺腺ガンで療養へ”. ステージナタリー. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “kigch|note”. note(ノート) (2017年3月14日). 2024年8月18日閲覧。
- ^ Inc, Natasha. “悪魔のしるし・危口統之が原案の「蟹と歩く」倉敷市立美術館講堂で上演”. ステージナタリー. 2024年8月18日閲覧。
- ^ 悪魔のしるし・危口統之が逝去 肺がんのため、42歳CINRA.NET(2017/03/17 16:09)
- ^ “ABOUT” (英語) (2019年12月25日). 2024年8月18日閲覧。
- ^ “悪魔のしるし『搬入プロジェクト』のオープン化に関するインタビュー 前半 ―作品の著作権を放棄し、「誰でも勝手にやっていいもの」にしていく|Archives|AMeeT”. AMeeT ―Art Meets Technology―. 2024年8月18日閲覧。
- ^ Kigch (2012年11月27日火曜日). “AKUMANOSHIRUSHI_weblog: 観光地とは土地の演技である(2)”. AKUMANOSHIRUSHI_weblog. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “2024年05月18日(土)「観光地から考える」橋本倫史さんトークイベント”. スロウな本屋. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “危口統之 一〇〇〇”. NADiff Online. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “歌舞伎町百人斬り | 悪魔のしるし” (英語) (2016年10月15日). 2024年8月18日閲覧。
- ^ Inc, Natasha. “Chim↑Pomイベントで悪魔のしるし「歌舞伎町百人斬り」エキストラ大量募集”. ステージナタリー. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “『Z≠G≒D』 | 悪魔のしるし” (英語) (2013年2月9日). 2024年8月18日閲覧。
- ^ “『危口統之 一〇〇〇 紙本版』”. BCCKS/ブックス. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “『蟹と歩く』記録集 | akumanoshirushi powered by BASE”. akumanoshirushi. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “『CARRY-IN-PROJECT 2008-2013 DOCUMENT: WORDS』”. BCCKS/ブックス. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “悲劇喜劇 2018年3月号 (発売日2018年02月07日)”. 雑誌/定期購読の予約はFujisan. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “orangcosong”. orangcosong.com. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “死なれちゃったあとで -前田隆弘 著|単行本|中央公論新社”. www.chuko.co.jp. 2024年8月18日閲覧。
- ^ “観光地ぶらり - 太田出版”. www.ohtabooks.com. 2024年8月18日閲覧。
外部リンク
[編集]- 悪魔のしるし 公式サイト
- 疒日記 (kigch_akuma) - note
- 「危口統之 石川卓磨 インタビュー(搬入プロジェクト 京都・岡崎計画 タブロイド)」(聞き手:奥居愛果/文責:橋本智絵/写真:在間夢乃, 2016年)
- 「『わが父、ジャコメッティ』 悪魔のしるし主宰・危口統之インタヴュー」(インタヴュー・文:上條桂子, 2014年)
- 「3.11以降の東京で表現する 悪魔のしるし(危口統之)×サンガツ(小泉篤宏)×小沢康夫」(インタビュー・テキスト:前田愛実, 2011年)