コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

卜部喜太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
卜部喜太郎

卜部 喜太郎(うらべ きたろう[1]1868年11月25日明治元年10月12日[2]) - 1942年昭和17年)11月13日[1])は、日本の弁護士[3][4][5]、政治家。衆議院議員(立憲国民党[6]。中央大学理事[7]東京弁護士会会長、東京弁護士会常議員会議長などを歴任。族籍は埼玉県平民[4][8]

生涯

[編集]

生い立ち

[編集]

1868年明治元年)、埼玉県児玉郡沼和田村(現本庄市沼和田)に生まれた。卜部喜平の長男で、先代キンの養子である[7]。幼くして怜悧であり、よく物の理義を悟った[9]。児玉中学校を卒業した[9]。18歳の時埼玉県師範学校に於いて小学校教員試験に応じて及第し、埼玉県小学校訓導に任ぜられ本庄小学校に在勤した[9]

1887年(明治20年)、家督を相続した[7]1888年(明治21年)上京し、英吉利(イギリス)法律学校英語法学科(現中央大学)に入学し、法学を研究した[9]1890年(明治23年)7月に優秀な成績で卒業した[9]。学績優等のため賞典及び褒状を受けた[9]。1890年(明治23年)9月に代言人試験に対策して合格した[9]

弁護人としての活動期

[編集]

1893年(明治26年)3月より江木衷と共に東京法学院で発行する法学新報の編集嘱託を受けた[9]1895年(明治28年)11月以来奥田義人、江木衷等と共に同院で発行にかかる行政裁判所判決録編集に従事した[9]。同志と江湖倶楽部を組織し江湖と称した[8]

弁護士の業務に従事した[6]。喜太郎が担当した名高い事件として、「足尾鉱毒事件」、「シーメンス事件」がある。また、関東大震災後の混乱に生じた本庄事件の裁判において、主任弁護士を務めたのも喜太郎であった。

政治家としての活動

[編集]

1908年(明治41年)5月、埼玉県郡部より推されて衆議院議員に挙げられた[8]又新会、国民党に所属した[10]。しかし、身辺の事情により、代議士生活はこの一期にとどまった。

その後の経歴

[編集]

1920年大正9年)、東京弁護士会常議員会議長、1921年(大正10年)、東京弁護士会会長に就任した[11]。また法律取調委員に任命された。喜太郎は東京法曹界の代表的人物となった。

晩年

[編集]

1934年昭和9年)に軽い摂護炎に侵され、入院した喜太郎は、その後、病状が悪化し、8年後の1942年(昭和17年)、大宮日赤病院で75歳の生涯を閉じた。墓所は沼和田宝輪寺

人物

[編集]

人となりは豁達であり豪胆、そうして非常に智略に富んだ[9]。民権自由を唱導して官憲の圧迫に屈しなかった[10]。義に厚く情に深いために上下の信望があった[10]。埼玉県在籍[5]。住所は埼玉県児玉郡旭村、東京市神田区台所町[5][7]

家族・親族

[編集]
卜部家
  • 父・喜平(埼玉平民)[7][8]
  • 妻・きち1877年 - ?、埼玉、内田榮五郎の妹)[7]
  • 養子
    • 1886年 - ?、養子ひさの夫、父喜平の四男、埼玉県児玉郡旭村長)[7]
    • ひさ1892年 - ?、養子貞の妻)[7]
    • 1909年 - ?、京都、龜定次郎の二女)[7]
  • [7]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『議会制度七十年史 第11』う77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月6日閲覧。
  2. ^ 衆議院『第二十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報号外〉、1908年、7頁。
  3. ^ 『改正日本弁護士名簿』28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月22日閲覧。
  4. ^ a b 『衆議院要覧 明治41年12月訂正』360頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月6日閲覧。
  5. ^ a b c 『人事興信録 第9版』ウ78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月29日閲覧。
  6. ^ a b 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』235頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年7月28日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第10版 上』ウ93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年11月25日閲覧。
  8. ^ a b c d 『人事興信録 第5版』う42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年11月27日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j 『明治弁護士列伝 肖像入』83-84頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年11月25日閲覧。
  10. ^ a b c 『第二十七回衆議院重要問題名士演説集2』75-83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年11月26日閲覧。
  11. ^ 『東京弁護士会史』719頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年11月26日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 『衆議院要覧 明治41年12月訂正』衆議院事務局、1897 - 1909年。
  • 東恵仁編『明治弁護士列伝 肖像入』周弘社、1898年。
  • 真船多吉編『改正日本弁護士名簿』日本弁護士協会、1908年。
  • 『第二十七回衆議院重要問題名士演説集2』帝国議会要史編纂所、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第10版 上』人事興信所、1934年。
  • 東京弁護士会事務所編『東京弁護士会史』東京弁護士会事務所、1935年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
  • 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。
  • 『武州本庄宿ふるさと人物史1』。