南俊二
みなみ しゅんじ 南 俊二 | |
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生誕 |
南 俊二(みなみ しゅんじ) 1882年9月28日 大阪府 |
死没 | 1961年12月29日(79歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 旧制大阪高等商業学校卒業 |
職業 |
初代大阪造船所社長 初代東洋オリーブ社長 |
子供 |
南景樹(長男) 南保夫(二男) |
親戚 |
南和子(孫) 南元一(孫) 南尚(義孫) 安西直昭(義孫) 湯浅敬三(義孫) 南安子(曾孫) 南尚子(曾孫) 南宣之(義曾孫) |
南 俊二(みなみ しゅんじ、1882年9月28日 - 1961年12月29日)は、日本の実業家、投資家。太平洋戦争後の一時期は菊池寛実、大谷米太郎とともに「日本の三大億万長者」と並び称された。
相模鉄道株式会社社長、日出生鉄道株式会社社長、豊州鉄道株式会社社長、株式会社大阪造船所社長(初代)、東洋オリーブ株式会社社長(初代)などを歴任した。
概要
[編集]生い立ち
[編集]大阪府にて生まれた。旧制大阪高等商業学校にて学び、1903年に卒業した。卒業後は日下部商店に入社した。1909年に南商店を構えて独立し、相場師として名を馳せた。穀類や肥料などの貿易などを手広く行ったが、株式相場では思うような結果が出せなかった。
大阪造船グループの設立
[編集]そのため、昭和期初頭には製造業に業種を転換し、一転して製鉄業、鉱業、セメント製造業などに力を注いだ。1936年には大阪造船所を設立し、現在に続くダイゾーグループの基礎をつくった。以来、堅実な経営の実践に邁進したことから、事業を軌道に乗せた。
太平洋戦争後
[編集]太平洋戦争後は事業も安定し、投資活動にも成功したことから、巨額の富を手中にしたと伝えられる。1949年、日本鉱業が馬上金山の閉山を決めると、大阪造船所に命じて鉱業権を日本鉱業から買収した。1955年には、パナマ船籍だった「オリンピック・チャレンジャー」およびその船団を買収し、併せて南氷洋での漁業権を獲得した。このように、巨額の資金を元手にさまざまな権利を収めていった。その結果、東洋濾紙を創業した菊池寛実、大谷重工業やホテルニューオータニを創業した大谷米太郎とともに「日本の三大億万長者」と呼ばれるようになった。
エピソード
[編集]南については、国会審議でも何度か取り上げられることがあった。
- 第19回国会 参議院 大蔵委員会
- 1954年3月12日、参議院大蔵委員会の審議にて、参議院議員の野溝勝が、通商産業大臣の愛知揆一に対して質問を行っている。この中で、帝国石油の役員を務めていた南らを名指しし、帝国石油の内部で内紛があるのではないかと指摘した[1]。
- 第19回国会 衆議院 決算委員会
- 1954年9月6日、衆議院決算委員会の審議にて、衆議院議員の杉村沖治郎が、吉田茂が池田勇人を通じて南から資金を受け取り、それを候補者に配っていたのではないかと指摘している。
- 杉村は「吉田総理大臣は池田勇人氏を通じて大阪造船所社長、南俊二氏及び日本炭鉱株式会社社長、菊池寛治氏の両名から金一億円を収受して、昭和28年4月の衆議院議員総選挙の際に、自由党の候補者に対して、外務大臣の公舎において、池田勇人氏、麻生太賀吉氏その他二、三の立会いのもとに、公認料としてそれぞれ分配交付した」[2]と発言し、第4次吉田内閣にて要職にあった吉田茂や池田勇人、麻生太賀吉らを名指しで追及し、池田を検察当局が取り調べたのか質した。
- ただ、この質問に対し、最高検察庁の検事総長である佐藤藤佐は「取調べたということは私は聞いておりません」[2]と答弁している。
家族・親族
[編集]俊二の跡を継ぎ大阪造船グループを率いた南景樹は、俊二の長男にあたる。景樹の跡を継いだのは、俊二の義孫にあたる南尚である。その後、尚の娘婿となった南宣之が、ダイゾーの社長を務めた。また、俊二の二男の南保夫は、大阪造船所の副社長をはじめ大洋製鋼の会長などを歴任した。保夫の長男の南元一は、大洋製鋼の専務などを歴任した。保夫の長女と結婚した安西直昭は、東京瓦斯の会長などを務めた安西浩の四男であり、日本鋼管で活躍した。また、保夫の二女と結婚した湯浅敬三は、神戸女学院の理事長であった湯浅恭三の孫であり、南友企業の経営陣として活躍した。そのほか、著名な係累縁者が多数存在するため、下記の一覧では俊二の親族に該当する者のみ記載した。
- 南景樹(長男) - 実業家
- 南保夫(二男) - 実業家
- 南和子(孫) - 実業家
- 南元一(孫) - 実業家
- 南尚(義孫) - 実業家
- 安西直昭(義孫) - 実業家
- 湯浅敬三(義孫) - 実業家
- 南安子(曾孫) - 実業家
- 南尚子(曾孫) - 実業家
- 南宣之(義曾孫) - 実業家
系譜
[編集]南数治郎 | 南俊二 | 南景樹 | 南和子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南安子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南尚 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南宣之 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南保夫 | 南元一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
南尚子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
保夫の長女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
安西直昭 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
保夫の二女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
湯浅敬三 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
モデルとなった作品
[編集]小説
[編集]映画
[編集]脚注
[編集]関連人物
[編集]関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 「南俊二の追想」編集委員会編『南俊二の追想』「南俊二の追想」編集委員会、1966年。
外部リンク
[編集]- 株式会社ダイゾー - ダイゾーの公式ウェブサイト
ビジネス | ||
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先代 (新設) |
大阪造船所社長 初代 : 1936年 - 1961年 |
次代 南景樹 |
先代 (新設) |
東洋オリーブ社長 初代 : 1955年 - 1961年 |
次代 南景樹 |
先代 (新設) |
豊州鉄道社長 初代 : 1929年 - 1931年 |
次代 渡辺孝 |